2009年11月04日

Cheetah Radio 9650kHz

WRTHの原稿も書き終わり、ようやく冬スケに入ってからのログの整理をボチボチと。

冬スケに入って最初の土曜日、10月31日のCheetah Radioは予定通り、1600から9650kHzで聞こえていた。
DWの終了後、少し頭切れで、いつもの女声アナウンスが聞こえてきた。SIO353といったところ。南アジア向けの英語番組。


同じ土曜日の放送、しかも同時刻、9605kHzのEvangelische Missionsのロシア語も強かった。
こればかりは同じ周波数のBBC Tamil語が混信しているが、それといい勝負をしていた。開始部分はかなり強かったのでは
プロテスタントミッション教会放送である。番組開始前にTWRのISが一回流れている。ロシア向け宣教放送。  
Posted by Hiroshi at 23:57Comments(0)Asia/Oceania

2009年11月04日

Radio Ekho Kavkaza

Radio Libertyのコーカサス向けロシア語放送は、11月2日から1800-1900に放送されていることが分かった。

11月1日までグルジア語の出ていた時間が、2日からロシア語に変更されている。3日にチェックしたところ、1800の9525kHzがよく聞こえていた。

9780kHzは、約180Hzほど上に出ている局と、低いビートを伴いながらパラで聞こえているのを確認。よく聞こえたのは、1820頃まで、後は信号も下がり何かボソボソ、何語なのかも分からない。
よく分からなかった放送時間は、南オセチア時間1900、モスクワ時間2100ということだった。R.Libertyサイトはロシア語番組のため、モスクワ時間となっているわけだ。

Radio Ekho Kavkaza
1800-1900 9525, 9780

RFE/R.Libertyといえば、冷戦時代の象徴であった。東西ドイツの壁がなくなったのもこの放送の影響が大きかったといわれている。そのベルリンの壁崩壊から、今年で早20年がたつ、いくつかのテレビ番組でも特集が組まれている。

その中の一つ、NHKBS世界のドキュメンタリーでは、特集番組が組まれている。
11月23日には、「ラジオ・フリー・ヨーロッパの闘い」と題し、冷戦下、東ドイツの放送と、RFEと、どちらの放送を聞くかで、東欧市民たちの葛藤を振り返る。


NHKBS1 11月23日 (月) 午後9:10~10:00
東側の市民へ民主化への呼びかけを行ったラジオ・フリー・ヨーロッパ。1950年から1991年まで、ソ連の影響下にあった東欧各国に向けてラジオ放送を続けた。マイクの前に座り、“鉄のカーテン”の向こうに語りかけていたのは、自らもチェコやハンガリー、ルーマニアなどから逃れてきた人びとだった。
妨害や命の危険を乗り越えてRFEの放送を担った人びと、放送を聞き民主化への希望を持ち続けた人びとの証言をもとに、ラジオ・フリー・ヨーロッパが東西冷戦の終結に果たした役割を描く。
  
Posted by Hiroshi at 12:56Comments(0)Russia/CIS

2009年11月04日

11月3日ふるさとの風

3日の受信状態は、1333の9810kHzは全く入感せず、僅かに中国語が聞こえるのみ。台湾からの電波は雲隠れしてしまった。

1400の「しおかぜ」5985kHzは日本語番組、結構強く聞こえていた。
そして1430の9880kHz、いつものように強力に聞こえている。まず日本の歌「ふるさと」。ふるさとの声は田口八重子さんへのメッセージ。

この名前を聞くとあの大韓航空機爆破事件を思い出す。いまだ、北朝鮮は事件を認めず、デッチ上げと言い続けている。
拉致問題の解決を願って歌われている歌は、藤井ひでりょうさんの「翼」、10月10、16、22、28日にも放送されている。

もしも・・・ もしも悲願(ねがい)が叶うなら
この腕を 翼に変えて
力の限り飛んでいきたい あの子のもとへ
幾年も 季節は巡り
咲く花も 川の流れも変わらねど
父も母も 老いて小さくなりました
だけど 瞼に焼き付く幼いあなたは
あの日のままで 微笑んでいる
寂しかろう辛かろう 北の彼の地は
戻れ戻れこの胸に
もしも・・・ もしも思慕(おもい)が届くなら
この魂(こころ)カモメに託し
絆の意図を届けて欲しい あの子のもとへ
今日もまた 星空仰ぎ
いつの日か 会えるその日を祈りつつ
合わす両手 皺もいつしか増えました
けれど 健気に生きているあなたを思えば
どんな苦労も 厭いはしない
ひもじかろう寒かろう 北の彼の地は
帰れ帰れこの腕に 父の腕に
いつか 戻る日信じて耐え抜いてるあなたを
片時だって 忘れはしない
泣きたかろう切なかろう 北の彼の地は
帰れ戻れ故郷に 家族のもとに
帰れ戻れ故郷に 家族のもとに


この曲は2007年に作られた。CDのジャケットにはこう書かれている。
  1986年4月、私は北朝鮮平壌の地を踏んだ。
 
   演奏会を終えてホテルに戻る車中からデパートが目に飛び込んできた。通訳に言った。 
 『貴国の楽器を見たいので案内して欲しい』と。帰ってきた言葉は『先生、二時間待ってください』だった。
 私は彼が忙しくて時間がとれないのであろうと思っていたが、それは大きな間違いであった。
 実はその間“お客様集め、人集め”をしていたのである。
 車中から見たデパートは確かに明かりがなく、人影もなかったはずだが、二時間後訪れた時は人の波!
 そしていつの間にか電気がついて照明が煌々と光っていた。
 何か違和感を感じた一瞬である。
 帰国後10年、発覚したのは非人道的な行為、拉致であった。
 多くの拉致被害者家族の悲痛な叫びを、私は直接この耳で聞いた。
 私は動く決心をした!その家族の方々の思いを歌に乗せて、北の地まで必ずや届けと!
 北の行為は、百万言説明しようが、弁明しようが、ゆるせない!
 許してはいけない!
 断じて許さない!
 
  北からの1日も早い帰国の実現を願って 
          藤井ひでりょう


  
Posted by Hiroshi at 00:04Comments(0)Shiokaze/Furusato no Kaze