2009年11月23日

11月22日ふるさとの風

日曜日は山の上での受信となった。やはりここは違う、全く聞こえなかった、1333からの9950kHzが超強力に聞こえてきた。10kHz上に出ている、同じく台湾送信のFamily Radioといい勝負をしている。(地上でもよく聞こえているようです)

この時間の番組は一週間通して同じ内容、したがって21日に9880kHzで放送された番組とこの9950kHz同じということになる。今週の一曲は、青い三角定規の「太陽がくれた季節」。9950kHzでは初めての録音となる。

1400に「しおかぜ」5985kHzは、やはり受信状態は悪い、ジャミングはさほど感じないが、約60Hz上に出ていると思われる、ビルマ放送の混信が強い、この60Hzのビートがうるさい。

1430の「ふるさとの風」9880kHzはこのバンドで最強といってもいい程である。9555kHzのVOA-Koreanと肩を並べている。同じく1600の9780kHzもこの時間としては一番強い局である。日本の歌「ふるさと」から、田口八重子さんへのメッセージ、拉致被害者を救出するための歌は、藤井ひでりょうさんの「翼」、10月10、16、22、28日、11月3日、9日、15日の放送と同じ内容である。

22日のふるさとの風は、全ての時間がこれまでの受信では最高によかった。

もしも・・・ もしも悲願(ねがい)が叶うなら
この腕を 翼に変えて
力の限り飛んでいきたい あの子のもとへ
幾年も 季節は巡り
咲く花も 川の流れも変わらねど
父も母も 老いて小さくなりました
だけど 瞼に焼き付く幼いあなたは
あの日のままで 微笑んでいる
寂しかろう辛かろう 北の彼の地は
戻れ戻れこの胸に 母の胸に
もしも・・・ もしも思慕(おもい)が届くなら
この魂(こころ)カモメに託し
絆の糸を届けて欲しい あの子のもとへ
今日もまた 星空仰ぎ
いつの日か 会えるその日を祈りつつ
合わす両手 皺もいつしか増えました
けれど 健気に生きているあなたを思えば
どんな苦労も 厭いはしない
ひもじかろう寒かろう 北の彼の地は
帰れ帰れこの腕に 父の腕に
いつか 戻る日信じて耐え抜いてるあなたを
片時だって 忘れはしない
泣きたかろう切なかろう 北の彼の地は
帰れ戻れ故郷に 家族のもとに
帰れ戻れ故郷に 家族のもとに


この曲は2007年に作られた。CDのジャケットにはこう書かれている。
  1986年4月、私は北朝鮮平壌の地を踏んだ。
 
   演奏会を終えてホテルに戻る車中からデパートが目に飛び込んできた。通訳に言った。 
 『貴国の楽器を見たいので案内して欲しい』と。帰ってきた言葉は『先生、二時間待ってください』だった。
 私は彼が忙しくて時間がとれないのであろうと思っていたが、それは大きな間違いであった。
 実はその間“お客様集め、人集め”をしていたのである。
 車中から見たデパートは確かに明かりがなく、人影もなかったはずだが、二時間後訪れた時は人の波!
 そしていつの間にか電気がついて照明が煌々と光っていた。
 何か違和感を感じた一瞬である。
 帰国後10年、発覚したのは非人道的な行為、拉致であった。
 多くの拉致被害者家族の悲痛な叫びを、私は直接この耳で聞いた。
 私は動く決心をした!その家族の方々の思いを歌に乗せて、北の地まで必ずや届けと!
 北の行為は、百万言説明しようが、弁明しようが、ゆるせない!
 許してはいけない!
 断じて許さない!
 
  北からの1日も早い帰国の実現を願って 
          藤井ひでりょう


  
Posted by Hiroshi at 21:51Comments(0)Shiokaze/Furusato no Kaze

2009年11月23日

CNR1 on 9740kHz

時々意味不明・目的不明のCNR1が出てくる。
20日から、9740kHzが、翌21日から9730kHzも出てきた。0700-0900の2時間だけ出ている。9730kHzのビルマ語をつぶしている。

今のところ妨害対象の局は出ていない。今まで出ていた15495kHzは止まっているのが確認できる。過去にもあったが、送信機のメンテを終えて、試験的に電波を出しているのかもしれない。

CNR1
0700-0900 9730, 9740kHz

November 22 SOH
1530-1600 7480kHz
2200-2230 7545kHz
2300-2330 7505kHz
7545kHzは放送終了間際から火竜ジャミングを出してきた、2300に止まり再び2305に開始、2318まで続いた。その一方で、2300の放送はジャミングなし。やってることがよう分からん。
  
Posted by Hiroshi at 17:27Comments(0)Taiwan/China

2009年11月23日

ケネディ暗殺から46年

今は当たり前になった衛星中継、しかしこれが始まったのは僅か46年前のことだ。

始めてアメリカから日本へテレビ中継があるということで、テレビの前で待ち構えていたのを思い出す。当時は「宇宙中継」といっていた。
しかし時間が来て、そこに映し出されたのは手書きのテロップだった。そして、あの石田アナウンサーの衝撃的なニュースが。
日米間初めての記念すべきはずだったその最初のニュースが、ケネディ暗殺という大事件。

今ではハイビジョン映像の中継が、手で持てる機材で世界中のどこからでも衛星中継が出来る時代である。その宇宙中継の始まりが歴史的大事件で始まったことは今では知る人も少なくなった。

ケネディ暗殺、11月23日になると必ず思い出す出来事である。今年その前日の22日は、また山の上でラジオを聴いてきた。夜になり雨が降り出したが、受信には影響ない。

23日は抜けるような青空、雪をいただいたアルプスの山々が実にきれいだ。

コンディションは今までで最高か、それもアンテナゲインが稼げることから普段は聞きにくい局も良く入感している。真昼間のローバンドでも多くの局が聞こえるのは、ペディションならではの楽しみ。

中国の地方局が日中も出ているのか実際に聞いて確認が取れる。しかし3815kHzのグリーンランド局はかすりもしない。聞こえるのはいつもの船舶局の通話だけだ。よかったのは北米が中波、短波とも格段に強かったこと。

  
Posted by Hiroshi at 17:07Comments(0)Americas