2009年04月20日

コーカサス放送中止?

長波171kHzで出ていた、チェチェンからの放送、最近同局のウェブサイトからストリーミングがなくなった。

放送関連のリンクはテレビとRadio Russiiだけ。ひょっとして出てないのではないかという情報がある。これだけは聴いてみるしかない。

そんな中長波でいつも聞いているInoueさんの質問とその回答がサイトに載っているのを発見した。番組が今の名前に変更されたときのものだ。

確かにそこにはチェチェンの番組が一日何回か171と657kHzで出ていると書いてある。

そしてストリーミングはつながるが、今のところ無音である。今日現在、Programma Kavzazは放送しているということらしい。

  
Posted by Hiroshi at 20:35Comments(4)Europe

2009年04月19日

モスクワ放送67周年特番

ロシアの声は4月13日(月)の放送で幻の初代モスクワ放送アナウンサー「ムヘンシャン」について日本向け放送開始67周年記念日の特別番組として放送した。同じ番組は4月17日に再放送された。
以下は音楽を含め、約30分にわたって放送された内容である。

------------ 音 楽 ------------

4月14日は、日本向けモスクワ放送が始まってから、67周年の記念日に当たっています。日本が、真珠湾攻撃によって、アメリカとの戦いの火ぶたを切った、その翌年、1942年の4月、モスクワからの日本語放送が始まりました。

その時、一体、誰が、また、どう言った人物が、そのテキストを読んだのか、長い間、正確なところは判っていませんでした。

それが、今年の3月の上旬、私どもの元同僚、アナウンサー兼翻訳員として、こちらで働いていて、現在、日本の大学で講師を務める傍ら、研究活動を続けています、島田 顕さんの、地道な活動によって、調査によって、明らかになりました。

きょうの、この番組では「ムヘンシャン」 と呼ばれた、モスクワ放送初代アナウンサーについて、4月11日に、島田顕さんが、私どもに送ってくださった研究資料の一部をリスナーの皆さんにご紹介したいと思います。

本日のご案内は、私、日向寺康雄、演出オペレーターは、イリーナ・チェルヌィフ、放送進行係は、アーラ・ソロビヨーバ、3人のチームでお送りします。

私は、この、ロシアの声、前身はソ連邦国家テレビラジオ委員会、通称モスクワ放送と言いましたが、こちらで働き始めてから、21年と言う年月が過ぎたのですが、岡田嘉子さんを初めとして、様々な先輩のお話から、モスクワ放送の昔のことをよく聴く機会がありました。

初めの頃、翻訳は日本共産党の、かつての指導者のお一人で野坂参三氏のご夫人であった、龍さんが、その頃滞在しておられた当時のゴーリキー通り今のトゥべリツカヤ通りと言いますけれども、そこの中央ホテルの部屋で、この翻訳をなさって、毎日ロシア人の担当者がニュースや解説などのテキストの受渡しのために、中央ホテルまで歩いて、10分ほどの距離だったと言いますが、プーシキン広場にあった、外国向けモスクワ放送の本部から通っていたこと、そんなことも、よく聴かされました。

また、時折は、日本の労働運動家で、コミンテルンの幹部として、日本共産党の結党を指導したといわれている、片山潜氏の娘さん、片山やすさんが、アナウンサーとして、この放送を手伝われたということも聴いておりました。
しかし、初めのアナウンサー、初代のアナウンサーについては、「ムヘンシャン」という奇妙な名前で呼ばれた、九州出身の炭鉱労働者の男性であったということ以外、具体的なこと正確なことは、まったく分かっておりませんでした。

岡田嘉子さんは、1948年、この、「ムヘンシャン」の強い薦めもあって、モスクワ放送のアナウンサーとして働き出したと、仰っていました。ムヘンシャンは、自分には九州訛りあるので、岡田嘉子さんのような、有名な女優さんが、アナウンサーとして働いてくれたら、どんなに素晴らしいだろう、そう、言ったそうです。

まぁ、この奇妙な名前、アダナなんでけれど、ムヘンシャンというのは、ロシア語の「ムーハ」ハエから来る言葉で、そこに、日本語の「さん」が訛った、「シャン」を加えたもので、彼は、この男性は、自分のことを、そう読んでいたそうなんですけれども、まぁ、当時は、スターリン時代、本名を明かさずに、お互い、本名を名乗らずに、働くことも、よくあったということです。放送局の資料でも、それ以上のことは、何も判りませんでした。それが、島田顕さんの、誠意に満ちた調査のおかげで、ある程度まで、分かってきました。

島田さんは元々、「国際共産主義運動」 が専門で、共産主義世界の建設を夢見て、ソ連邦に世界中から集まった人々について、研究活動を続けていました。昨年の8月、島田さんが、アメリカのワシントンの歴史文書保管所で目を通した資料の中に、「ムヘンシャン」という言葉を見つけ、これがきっかけとなって、モスクワの旧マルクス・レーニン主義研究所、今の現代歴史文書アーカイブス保管所に幾つか資料が残っていることを突き止め、今年3月、モスクワを訪れた折に、忙しい合間を縫って、「ムヘンシャン」 のデータを入手してくれました。

------------ 音楽・「私のモスクワ」 ------------

こちらはロシアの声、ただいま特別番組「幻の初代モスクワ放送アナウンサー「ムヘンシャン」を送りしています。私どもの同僚でありました島田さんが、アーカイブで入手した情報によりますと、「ムヘンシャン」は、本名「おがたしげおみ」さんと仰います。
「オガタ」 の 「おがた」という字は、俳優の緒形拳さんと同じ 「緒形」 です。そして、「しげおみ」の方ですけれども、「重い」という字に、大臣の「じん」を書きます。この、緒形重臣さんが、私どもモスクワ放送の初代アナウンサーでありました。

緒形さんは1896年、福岡県田川郡で、お生まれになりました。地方自治体職員の家庭のお子さんで、お父さんは旅館を経営していたということです。また日本共産党員ではありませんでした。他の党にも属したことはありません。1914年まで、日本の初等学校で学び、18歳まで中等農業学校で勉強して、1914年から17年まで、つまり18歳から21歳まで、炭鉱労働者、荷役労働者、雑役夫として働いていました。

1921年に、歩兵予備役として登録されています。その後、ウラジオストック航路も含めて、遠洋航海の船に乗り込み、様々な日本の船の中で、ボイラーマン、荷役労働者として働き、船員たちのストライキにも、何度も参加しました。

そして、1929年に、負っていた借金から解放されると、学習の機会と可能性を得るために、それまで働いていた船から脱出して、ウラジオストックの 「国際クラブ」 に残ったそうです。この、ウラジオストックでは、日本人労働者の間での労働組合の路線に沿って活動し、1932年に、日本人労働者の間での活動のため、カムチャッカに赴きました。ここまでが、緒形さんの、モスクワに来る以前の経歴です。それでは音楽の休憩を挟みましょう。

------------ 音 楽・「道」 ------------

このほど明らかになりました、モスクワ放送日本語課初代アナウンサー「ムヘンシャン」こと緒形重臣氏の経歴を続けてご紹介します。緒形さんは、1933年から35年まで、「クート」で、東洋勤労者共産大学、あるいは「東方少数民族共産主義大学」とも訳されますが、こちらの学生になりました。この、「クートで」 というのは、当時、ソ連に存在していた、共産主義者養成機関で、革命家の養成塾といった感があり、世界中から共産主義社会の建設を夢見る若者たちを集めて、彼らを教育し、また世界中へと送り出していました。

1930年代のソ連には、数万人規模で、政治亡命者がおり、日本人も100人近くいたと推測されています。しかし、現実のソ連は、スターリンによる、厳しい粛清の直中にありました。

1936年から37年、内務人民委員会の資料によりますと、田中氏、かんじょう氏が逮捕されたのをきっかけに、ムヘンシャン、こと、緒形重臣さんは、自分もスパイと疑われているようだと感じ、迫害と逮捕の恐怖を経験しました。
1938年の1月には、岡田嘉子さんと、演出家で共産主義者の杉本良吉氏が、サハリンを越境して、ソ連邦に亡命しますが、スパイとして逮捕され、翌39年、最高裁の判決によって、10月、杉本氏は銃殺、岡田嘉子さんは10年のラーゲリ、収容所送りとなります。

一方、ムヘンシャン、緒形氏は、この恐怖の時代を、何とか生き抜きます。1938年の末まで、民族植民地問題科学研究所に在籍した後、1939年から1940年まで、「革命の火花」という名前を持つ印刷所の植字工として働き、1941年から42年までは外国語文献出版所の日本語編集部の校正係を務めました。そして、いよいよ、1942年から、ソ連国家ラジオ委員会日本語課のアナウンサーとなったのでした。

------------ 音楽・「偶然のワルツ」 ------------

きょうは、4月14日が、私ども、ロシアの声、前身、モスクワ放送の日本向け放送開始67周年にあたるのに因みまして、「幻の初代日本語アナウンサー ムヘンシャン」 について、私どもの元同僚、島田顕さんが調査し、明らかにしてくれた、新たな情報を、これは、4月11日に、Eメールでいただいたものなんですけれども、それを取り急ぎまとめてお伝えしました。

ムヘンシャン、こと、緒形重臣氏は、岡田嘉子さんが私に話したことによりますと、先生が、岡田嘉子さんが働き始めて、1948年ですが、まもなく姿を見なくなったということです。先生のお話では、おそらく、ムヘンシャンさんは日本に帰国したのではないかということでした。まぁ、この時期、粛清が、先ず、なかったと思いますし、逮捕される理由もなかったので、と言いますのは、緒形さんの、当局の、彼に対する評価は、政治的思想の発展程度は弱いという評価はあったものの、誠実な働き手として、肯定的な評価を得ていました。

私も、ムヘンシャンさんは、緒形さんは、日本に無事に戻り、故郷で、きっと、モスクワ放送を聴いていた、そう考えたいと思います。兎に角、正確なお名前を、リスナーの皆さんに、きょう、お伝えできただけでも、ソ連邦崩壊後18年という歳月が流れたわけですけれども、この国が開かれた成果である、と考えています。

最後に、改めて、地道な調査を続けてくれました、島田顕さんに、心から感謝申し上げます。「さすが、われらが島田先生」です。ボリショイ・スパシーバ。

それでは、この番組のお終いは、緒形重臣さんも、きっと、きっとですね、強く、深く愛されたと思う、ロシアの草原、ロシアの自然を唄いました 「ルースカヤ・ポーレ」 という歌、ドミトリー ・プドロフスキーの歌声で、きょうは、この番組を締めくくりたいと思います。

こちらは、ロシアの声、モスクワからの日本語放送です。


以上が4月17日に再放送された番組からの聞き取り。過去モスクワ放送は50,60、65周年とこういった開局特番を出している。岡田嘉子さんについては過去、幾度となく放送されている。  
Posted by Hiroshi at 23:21Comments(0)Europe

2009年04月19日

中国プロパガンダ放送

短波帯は中国の電波で埋め尽くされているが、それだけでは足らず、中波でも侵略を続けている。

2年ほど前にフィンランドは中波放送を廃止しているが、それまで使っていたPori送信所の963kHzを使い、CRIの番組が出ているという。

フィンランドといえば、今年1月にTDFからCRIの番組をDRM放送で出したこともある。このときのスケジュールがフィンランド向けとしてローカル時間で紹介されていた。

情報によれば、一日10時間ほどCRIのヨーロッパ向け言語を出している。着々とフィンランドへ電波侵略を仕掛けている。

下のスライドは1月15日に放送されたDRMのデータ放送の一部。

  
Posted by Hiroshi at 13:54Comments(0)Europe

2009年04月18日

Voice of Tibet

西蔵とインド向けに毎日放送されている西蔵語と中国語の番組。

夏スケジュールでは、RNWマダガスカル送信が一時間になったのをはじめ、UAE送信も30分追加されている。この2ヶ所からの送信は放送途中で周波数を動かすことはない。

ジャミングから逃れるために放送中に突然周波数を変えるのはタジキスタン送信と思われる。多少はハイバンドのコンディションもいい日があり、結構強く聞こえている。
放送時間が増えたのか同時に3波がパラで聞こえる時間帯も出てきた。1330までは15MHzが2波パラで聞こえている。HFCCリストではどちらもタジキスタン送信のはずだが、15422kHzのほうが若干早く聞こえている。

もう一波の15412kHzは1330に終了している。以降1330に開始する17550UAE送信と15560kHzマダガスカル送信が加わり、3波がパラで聞こえる。17日は良く聞こえていたが、18日はコンディションが悪く15MHzはキャリアーの存在が分かる程度。15560kHzのマダガスカル送信は毎日聞こえている。

1330からの西蔵番組は一番早く聞こえるのが15422kHz、次に17560kHz、一番遅く聞こえるのは17550kHzである。

A09 Voice of Tibet:
1330-1430 17560kHz via MDG
1330-1400 17550kHz via UAE
1130-1330 17555kHz via TJK 17552-17557v (1230-1245 Chinese)
1300-1400 15425kHz via TJK 15422-15427v (1300-1330 Chinese)
1300-1330 15410kHz via TJK 15412-15417v (1315-1330 Chinese)


  
Posted by Hiroshi at 22:56Comments(0)Taiwan/China

2009年04月18日

AWR 15445kHz

週一回だけの放送というのはつい聞き逃してしまう。

毎週土曜日に台湾中継でAWRのベトナム語が15445kHzで出ている。もう随分と前からある放送で、何故週一なのか。18日も0100前から強いキャリアーが出ており、番組が始まったが、ベトナム語ではなく、モン語が出てきた。1分後にはベトナム語になりAWRの番組になった。

同じ台湾送信の15260kHzの番組を誤送出したようだ。台湾もRTIの放送時間が少なくなり、いまや外国局の中継時間のほうが多くなってしまった。その分中国のジャミングが減ったことにはなるが。  
Posted by Hiroshi at 10:44Comments(0)Taiwan/China

2009年04月17日

RFAのストリーミング放送

RFA自由アジア放送はいつもジャミングによってまともに聞こえない。

そんな中、西蔵語だけはすでに2004年3月からストリーミング放送を始めていた。他の言語についてはオンデマンドで聞くことはできたが短波とのサイマル放送は西蔵語以外は無かった。

このほどRFAのサイトでは、全ての言語のストリーミング放送をWindows Mediaで始めている。短波放送のない時間帯も放送されており24時間いつでもRFAを聞くことができるようになった。
ここに書いてある時間はESTとなっている、4時間足せばUTCとなる。このサイトでEST表記なのは、短波放送対象エリアではなく、米国本土のリスナーを意識してのことであろう。

RFAの放送開始前や終了後に、RFA Channnel 4などのアナウンスが時々出ているが、これはオーディオファイルの番号と一致している。公表されていないモンゴル中継波ではよく聞かれるアナウンスである。以前から周波数リストの備考欄にRFA1などの番号が付けられている。  
Posted by Hiroshi at 18:03Comments(0)Asia/Oceania

2009年04月17日

中国のジャミング

短波帯で最大規模のジャミングを出しているのは勿論中国だ。自国の言うこと以外は聞く耳持たずの姿勢は今も続いている。

放送バンド内では国内向け放送を2~3波同時に出して西側の放送をつぶしにかかっている。また放送バンド外ではいわゆるあのやかましい中国音楽、火竜ジャミングを出し続けている。

4月に入ってからはバンド内でもこの火竜ジャミングが聞こえている。通常妨害しているVOAやRFAが出ていない時間、周波数で聞こえている。

16、17日は9600、11615、15150kHzが確認できている。ちなみに17日0630現在聞こえている火竜ジャミングは:
11300、15150、13970、15840、17300、18320kHz
この中でSOHと思われるキャリアーが出ているのは5波、18320のSOHは0520ごろに11300kHzへ移動している。

17日、1210現在:
8400、9000、13970、15150、15840、17300、18320kHz

17日、1620現在:
8400、9000kHz  
Posted by Hiroshi at 16:00Comments(0)Taiwan/China

2009年04月17日

Radio Hage Soomaaliya

ソマリアの放送はこのところ7145kHzがよく聞こえている。

これ以外は日本でで聞くことはできないが、ローパワーの局が、出ているらしい。

国中が戦争状態で、今聞こえるソマリア暫定政府の放送Radio Hargeysaに対して、北部はソマリランドとして独立をうたっている紛争地域。まともな政権が存在しておらず、北東部はプントランドと称しこれまた独立を宣言、ここからの放送がこのローパワーの短波放送局だ。勿論日本政府はソマリアを承認していない。

首都Mogadishuから約560km北西のMudugからの短波放送で、ソマリ語でRadio Hage Soomaaliya、英語表記ではRadio Leader Somaliaとなる。

放送はソマリア方言で0300-0500と0900-1000に3980と6915kHz、出力1.25kWで行われている。  
Posted by Hiroshi at 13:12Comments(4)Africa/ME

2009年04月16日

北朝鮮向け放送

周波数を内緒で変えるしおかぜに比べ、それ以外の対北放送は番組の中でも繰り返し周波数アナウンスをしている。しおかぜ同様頻繁に周波数を変えているが、事前に予告されることが殆んどだ。

4月6日に報告してからしおかぜと改革放送、自由北朝鮮放送が一部変更している。当然だがこれら全ての放送に北朝鮮はジャミングをかけている。北朝鮮のやることは見境がなくR.Japanを除く全ての朝鮮語放送にジャミングをかけている。

週一回のBVBNから出ているCMIにはジャミングはかかっていない、というより放送の存在が分かっていない様子かも知れない。CMIサイトにはこのドイツ中継の告知がない。

A09 Broadcast to the North Korea 北朝鮮向け放送一覧 16 April 2009

JCI: Furusato no Kaze ふるさとの風
1333-1358 9585(Japanese) via TWN
1430-1500 11825(Japanese) via DRW
1600-1630 9780(Japanese) via TWN

JCI: Nippon no Kaze 日本の風
1500-1530 13725(Korean) via DRW
1530-1556 9965(Korean) via PLW
1700-1730 9820(Korean) via TWN

JSR: Shiokaze しおかぜ
1400-1430 5910(Japanese/Korean/English/Chinese) via YAM
2030-2100 6045(Japanese/Korean/English/Chinese) via YAM

FNK: Radio Free North Korea 自由北朝鮮放送
1100-1200 7460 via TAC
1400-1600 9990 via TAC
1900-2100 7530 via ERV

ORNK: Open Radio for North Korea 開かれた北朝鮮放送
1300-1400 11640 via TAC
2100-2200 7510 via ERV

RFC: Radio Free Chosun 自由朝鮮放送
1200-1300 11560 via ERV
1230-1300 12085 via TAC
1545-1615 11570 via ERV
2000-2100 7490 via TAC

CMI: Voice of Wilderness 広野の声
1300-1400 11680 via ERV
2000-2100 Su. 7410 via WER
2000-2030 Sa. 1566 via HLAZ

NKRR: North Korea Reform Radio 北朝鮮改革放送
1300-1330 9795 via TWN
1330-1400 11560 via DB

VOF: Voice of Free Radio 自由の声放送
1600-1630 7520 via TAC   
Posted by Hiroshi at 22:15Comments(0)S.N.Korea

2009年04月16日

Zimbabwe Community Radio

冬スケでは5935kHzで殆んど聞き取れなかったZimbabwe Community Radioが、夏スケでは5995kHzではなく、5950kHzへQSYしている。

ウェブサイトでは5995kHzとなっているが、実際には5950kHzに出てきた。HFCCへの申請も5950kHzである。しかし4月6日あたりでは5995kHzで聞こえたという報告もある。毎日チェックはしてないが、4月8日は5950kHzで出ていたことが分かっている。

この時間全く混信がなく良好に受信できる。ただ同時刻に始まる5kHz下のCNR1が強すぎる。ガザガザと多少うるさいが、英語ニュースなどもあり、局名アナウンスもよく出ている。IDはZimbabwe Community Radioとそのままである。
5950kHzは1900ごろまではエチオピア局が強力に聞こえている。15日は1857過ぎに番組終了、1858’40”にキャリアーが止まっている。

15日の受信では、いつものように約15秒遅れでキャリアーON、2024から英語が聞こえてきた。ジンバブエ向けの言語はその昔モスクワ放送も力を入れており、Ndebele、Shona共に聴きなれた言葉、数値など英語と同じ発音がいくつもある。

Zimbabwe Community Radio
2000-2100 Ndebele、English and Shona via UAE  
Posted by Hiroshi at 09:41Comments(3)Africa/ME