2024年03月12日

3月11日ふるさとの風

1300の「しおかぜ」は7250、7280kHzはいずれも上からの被りがうるさい。かろうじて聞き取りができる。先週金土と同じ内容である。この番組は2024年3月1日、2日、4日、8日、9日と同じ内容である。

1300の「にっぽんの風」と1330の「ふるさとの風」は9705kHzがベスト。7295kHzにはジャミングが出ているが、弱くほとんど影響はない。12045kHzも若干弱いが今日はほぼ聞こえている。今日から新しい内容である。
「ふるさとの風ニュース」は昨年12月16日、日本政府主催のシンポジウムが開催された。当日の作文コンクールから最優秀賞である「継承~横田滋さんの信念に学ぶ~」が盈進中学高等学校2年池田和音さん本人の朗読で紹介されている。
 「娘に会いたい。」ただその一心で、拉致被害者家族会の初代代表を務めて長年、妻の早紀江さんと共に街頭に立った。全国の学校をまわり、講演を千四百回行った。
 だが、思いは叶わなかった。当時十三歳だった娘のめぐみさんが北朝鮮に拉致されてから四十三年が経っていた。めぐみさんが贈った誕生日プレゼントの櫛を肌身離さず持っていた横田滋さんは2020年6月、87才の生涯を閉じた。
 拉致被害という重たすぎる問題を、私はいつも滋さんを通して考えていた。「穏やかで温和。」テレビの滋さんはそんな印象だった。世論や運動が北朝鮮に対して先鋭的に傾いたときでも、滋さんの姿や声、コメントは冷静で、対話的解決を重んじていたと私は感じていた。そして滋さんを通して、拉致問題は重大な人権蹂躙の問題ととらえるようになった。
 かつて横田家は、めぐみさんの名前を公表するかどうかで意見が割れた。公表すれば、北朝鮮によってめぐみさんが殺されるかもしれないという恐怖があった。しかし、滋さんは「Y・M」では世論に訴える力が弱いと判断し、公表を選んだ。父親として絶対に娘を取り戻すという強い意志がそこにあった。滋さんは、家族を被写体にして写真を撮ることがすきだった。アニメ「めぐみ」(政府・拉致問題対策本部)にでてくる写真の数々。滋さんのめぐみさんへの溢れる愛情が伝わってきた。滋さんにとって、家族をカメラに収めることがしあわせな「普通の日」であった。だが、それは突然失われた。滋さんはあの日以降、写真を撮らなくなった。
 滋さんの訃報に焦りを感じる自分があった。このままだと被害者の家族だけでなく、本人たちも亡くなってしまうかもしれない。北朝鮮はその時を待っているような気がする。
 日本国内のこの問題に対する関心も低下しつつあるように感じる。その状況に私は危機感を覚える。ありきたりかもしれないが、国民みんなが強い関心を持ち続けること、国民ひとりひとりがこの人権侵害問題を絶対に許さないと意思表示をし続けることこそが、滋さんの信念と行動を引き継ぐこと、そして、北朝鮮を動かすことにつながると私は思う。
 2002年10月、蓮池薫さんら五人の拉致被害者が帰国した。その際、めぐみさんの死亡が告げられ、滋さんはいつになく人目を憚らず号泣した。だが滋さんは、家族会の代表として、「元気でいた方の家族は、遠慮せずによろこんでください」と気遣った。私は、そんな滋さんの責任感とやさしさと勇気を心から尊敬する。そういう人に私もなりたい。
 その蓮池薫さんはいま、こう語る。「なんとしても拉致被害者の親世代が生きているうちに、被害者全員の帰国を実現させなければならない」と。それは私の思いそのままである。この問題は他でもない、私の問題なのだ。

ふるさとの唱歌コーナーは日本語放送のみで、「思い出のアルバム」である。
「今週の一曲」、朝鮮語は1984年のヒット曲THE ALFEEの「星空のディスタンス」と2000年のヒット曲、GO!GO!7188で「こいのうた」である。
日本語放送は1977年のヒット曲ダウンタウンブギウギバンドの「サクセス」が出ている。

1405の「しおかぜ」は6070と7325kHzが聞こえている。この時間は先週3月4日1330に放送された「ふるさとの風」が出ている。開始と終了は「しおかぜ」のアナウンスである。

1430の「ふるさとの風」は9560、7290、7520kHzが良好である。この番組だけなぜか最初の懐かしい日本の歌がカットされている。「ふるさとの声」として横田早紀江さんのメッセージから始まっている。2023年11月26日家族会、救う会、拉致議連等主催の「全拉致被害者の即時一括帰国を求める国民大集会」で収録したメッセージである。続いて2023年11月15日の産経新聞に掲載された、めぐみさんへあてた手紙が読まれている。半世紀たっても救い出せない日本政府のやる気のなさを嘆いている。
めぐみちゃん、こんにちは。月日はあっという間に流れ、今年も11月を迎えました。しんとした冷たい空気に冬の気配を感じつつ、46年前、あなたが北朝鮮に連れ去られてからの辛苦を、思い起こしています。
昭和52年11月15日、中学校でバドミントンの部活動を終えたあと、あなたは忽然と姿を消しました。異変に気付き、泣きじゃくる弟の拓也と哲也の手を引いて、暗い新潟の海岸を必死に捜し回りました。
「めぐみ!」
お母さんが何度も叫んでいたとき、あなたは日本海を走る工作船の暗い船倉に押し込まれ、懸命に助けを求めていたと、後から知りました。
「お母さん助けて!」
その声は私に届かず、お母さんの声もまた、あなたに届く由もありませんでした。
平成14年9月の日朝首脳会談で北朝鮮は拉致を認め、謝罪しました。5人の拉致被害者が、祖国の地を再び踏めたことは、この上ない喜びでした。でも北朝鮮は、めぐみたち残る被害者を「死亡」などと偽ったのです。
他人の骨を、めぐみの「遺骨」だと提出してきたこともあります。無理のある噓の説明はむしろ、「被害者は皆、生きている」という確信を私たちに与え、闘い続ける力となりました。
その思いに、今も寸分の揺れもありません。でも、残された時間は、本当にわずかです。
3年前、あなたのお父さんが天に召されました。大切な仲間、友人は次々と旅立っていきます。お母さんも87歳になり、気力はあっても、身体の衰えを痛感します。
今年2月、お母さんは自宅で倒れてしまいました。「神様、どうかあと2年、生かしてください」「もう少し、闘うための時間をください」
目の前が真っ白になる中、懸命に祈りました。思いが通じたのか、命を永らえることができました。でも、お医者さまからは「無理は厳禁」と、強く忠告を受けました。
一目だけでも、めぐみの姿を見たい。声だけでも、聴きたい。老いた母の切実な願いですが、このところの日本政府の動静を見るにつけ、本当に解決する気概はあるのか。不安や不信ばかりが募ります。
拉致事件をすっかり解決しなければ、形を変えた同様の惨禍に見舞われるのではないか―。お母さんは、日本の未来が心配でなりません。
年老いて病んだ拉致被害者の親世代、きょうだいの世代は、救出運動の最前線に立つことがもはや困難です。そして、被害者の子の世代が運動を担うのは、明らかな異常事態です。
明々白々な主権侵害を受け、半世紀にわたり同胞を救えないありようは、「日本国の恥」そのものではないでしょうか。
日本国の政治家、官僚の皆さまは、こじれた局面を打開し、明るい未来を引き寄せる「具体策」を示し、実行につなげていただきたいのです。
世界に目を向ければ、ロシアとウクライナの紛争は長引き、中東でも衝突が起きています。戦乱は、広がっています。
私たち日本も平穏ではいられません。既に日本人拉致という重大な国家犯罪に手を染め、さらに核・ミサイルの力を強める北朝鮮が、海を隔ててすぐそばにいるのです。
日本政府、歴代の首相の方々には、同じことを言い続けてきました。
「拉致事件は日本国の在り方を問われる根本的な問題であり、絶対解決しなければならない」「北朝鮮が一筋縄でいかない相手なのは理解しているが、首脳同士が目を合わせ、ひざを突き合わせて話し合ってほしい」
岸田文雄首相にも、日朝首脳会談の一刻も早い実現へ、ご尽力をお願いしました。そして、歴代首相の方々にお送りしたのと同じように、思いを込めて、お手紙をお送りしました。
北朝鮮の最高指導者、金正恩氏をニュースなどで見ると、娘さんらしき少女を連れていることがしばしばあるようです。
娘への慈しみ、愛情があれば、私たち拉致被害者家族の胸中も、容易に理解できるはずです。首脳同士、人の情、親の情を心に置き、胸襟を開いた話し合いがあれば、日朝関係も前進するのではないでしょうか。
私も年をとり、いよいよ、くたくたです。集会や街頭で、皆さまに直接お会いして、声を伝えられないもどかしさはあります。でも、決して諦めず、屈せず、粘り強く、思いを届けることはできます。めぐみと再会するまで、絶対に負けるわけにはいかないのです。
すべての国民の皆さま。どうか、北朝鮮に捕らわれたままの被害者を改めて思い、声をあげてください。拉致事件を「わがこと」と考え、解決に向けて動き出すよう日本政府を後押ししてください。
政治家や官僚は世論を受け止め、戦略を練り、一刻も早く、具体的な行動に移してください。
めぐみちゃん。お母さんは多くの方々の温かい心遣いに支えられながら、日々を生きています。寒さが厳しくなる折、あなたの健康が心配です。再会の日を心に描き、毎日、祈りをささげています。きっと、会えるよ。どうか心を強く持って、待っていてね。

そして2020年6月5日逝去された、お父さん横田滋さんから、2017年4月に東京で開催された「拉致問題を最優先として今年中に全被害者を救え!国民大集会」での収録から、年令を感じさせる聞き取りにくいメッセージである。続いて2015年2月に収録のメッセージ、この時はまだ元気そのもの、はっきりと聞き取れる。モンゴルで孫と会ったことも述べている。弟さん横田拓也さんから、2023年12月に開催された日本政府主催国際シンポジウムでの収録から。同じく横田哲也さんから2023年12月15日開催のセミナーでの収録メッセージ。9560kHzは1458に停波、尻切れである。この番組は2024年1月29日、2月9日、19日、29日と同じ番組である。

  
Posted by Hiroshi at 00:00Comments(0)Shiokaze/Furusato no Kaze