2024年11月09日

11月8日「しおかぜ」

8にち1300の「しおかぜ」は7305kHzが混信で聞こえない。5935kHzはきわめて強力である。金曜日は日本語放送から、10月29日特定失踪者問題調査会の記者会見「北朝鮮における証言・情報について」で発表した資料が読み上げられている。
これまで調査会が得てきた特定失踪者に関する情報の中で公開できるものを整理して公開する。
 特定失踪者・拉致被害者の情報は極めて重要なものだが、その中には当然ながら100%のものはなく、また北朝鮮側からの逆情報もあると思われる。私たち自身それに翻弄されてきたが、横田めぐみさんでも当初は「海岸に行ったら工作員脱出を目撃して」とか「双子の妹」と言ったように誤った情報が入っていた。事態が動かない中、可能な情報は公開すべきであると考えて以下の通り発表するものである。
① 比較的最近入手した情報の中でもいくつかのルートからの情報が重なるケース
 ルートについて秘匿せざるを得ないため、下記(3)の中にも同じルートからの情報が入っている。それを含めると全体で10名程度になる(政府認定拉致被害者については別)。
遠山文子さん
山本美保さん
高敬美・剛姉弟
② 松原仁・元拉致問題担当大臣が「大臣在任中拉致されて北朝鮮にいると認識していた」と証言したケース
大澤孝司さん
藤田進さん(川口)
③ 現在確認のできた目撃ないし存在に関する証言のある特定失踪者
(敬称略・失踪時期順)
 ここに名前がなく、目撃証言がなくても例えば秋田美輪さんのように拉致の蓋然性の高いケースも少なくない。逆に政府認定拉致被害者の曽我ひとみさん・ミヨシさんなどは北朝鮮側が発表するまで警察は拉致の蓋然性すら低いと認識していた。つまり一見拉致の可能性が低いかのように見えるケースであっても拉致されている可能性があるということである。特定失踪者家族会と特定失踪者問題調査会では近々林芳正内閣官房長官兼拉致問題担当大臣と面会する予定で、既に日程の調整を進めているが、その折にはこの情報について改めて質し、回答を求める予定である。
(1) 徳永陽一郎 昭和28年(1953)長崎市で失踪 当時18歳 染料店店員
 平成10年(1998)~11年、北朝鮮国内で目撃したとの脱北者情報がある。その脱北者は「酔っぱらって『拉致されてきた。日本に亡命する』と言ったのを密告され、収容所に入れられた。取り調べの書類に『1954~55年日本から朝鮮に来た』と記されていた。また身体検査の時、右肩に刃物による傷跡があったことを記憶している」と証言した(本人は右肩に子供の頃鎌で切った傷跡がある)。
(2) 木村かほる 昭和35年(1960)2月27日 秋田市で失踪 当時22歳 看護学校学生
 金正日の料理人こと藤本健二はじめ、複数の目撃証言がある。金賢姫が自著の中で平壌外国語大学で学んだ時の日本語教師が、木村さんに該当する可能性がある。平成14年(2002)12月脱北者の女性が「親友の両親が拉致された日本人だった」と証言し、年齢や拉致された時期から木村ではないかと思われる。また、北朝鮮にいた事のあるタイ人の女性4名から別々に聞き取りを行ったところ、「日本語を習った日本人教師」として、多くの特定失踪者の中から「最も似ている」として木村を挙げている。姉天内みどりによればしぐさの特徴などもよく似ているという。さらに脱北者ホ・ガンイルが2002年頃の数ヶ月から半年の間、平壌市内モランボン区域の日本の品物を売る外貨商店で見た女性と似ていると証言している。
(3) 宮澤康男 昭和35 年(1960)9月21日 東京都内で失踪 当時18歳 製パン会社勤務
 北朝鮮で似た人を見たとの複数の目撃情報がある。
(4) 藤田慎 昭和35年(1960) 東京都内で失踪 当時29歳 会社員
 北朝鮮にいるとの情報がある。
(5) 正木冽子 昭和36年(1961) 徳島市で失踪 当時19歳 看護師
 「中国国内で似た女性を見た」とする目撃情報がある。
(6) 加瀬テル子 昭和37年(1962) 千葉県海上町(現旭市)で失踪当時18歳 家事手伝い
 平成16年(2004)に脱北者が北朝鮮から持ち出したとされる写真が鑑定の結果「本人である可能性が極めて高い」と発表さた。平成29年(2017)政府はこの写真が第三国にいる別人のものと発表しているが、結膜(白目)部分の特徴など、別人とは考えにくい。
(7) 寺越昭二 (8) 外雄 (9) 武志 昭和38年(1963)5月12日 能登半島沿岸で漁に出たまま失踪。当時昭二36歳・外雄24歳・武志13歳 
 元北朝鮮工作員の安明進(アン・ミョンジン)は教官から聞いた話として、日本に侵入するところを目撃されたため、昭二は拳銃で射殺されて海に沈められ、弟の外雄と甥の武志は拉致されたとされている。外雄は1994年、北朝鮮の亀城で死去したとされる。武志は家族がアクセスできる唯一の拉致被害者だが日本政府は拉致認定していない。
(10) 藤田進(新潟) 昭和40年(1965)3月26日 新潟県青海町(現糸魚川市)で失踪 当時17歳 高校生 北朝鮮にいるとの情報がある
(11) 坂本とし子 昭和40年(1965)6月9日 東京都北区の自宅を出て失踪 当時23歳 家業の浴場業手伝い
 脱北女性が「明確ではないが1993年頃に政治大学で見たことがあるような気がする」と証言。また脱北者ホ・ガンイルが平成14年(2002)頃の数ヶ月から半年の間、平壌市内モランボン区域の日本の品物を売る外貨商店で似た女性を目撃したと証言している。
(12) 日高信夫 昭和42年(1967)9月 東京都内で失踪 当時23歳 印刷工
 脱北者河日(ハ・イル)が「1994年に平壌の病院で会った人に非常によく似ている。朝鮮語が下手だったので、朝鮮人ではないと思った。印刷に関する日本語と朝鮮語の書物を読んでいた」と証言している。一般に明らかになっていない癖などが脱北者の証言とほぼ一致している。
(13) 紙谷礼人 (14)速水 昭和42年(1967)11月7日 北海道雄武港から父慶五郎・兄圭剛と漁に出て失踪 当時礼人19歳・速水16歳
 北朝鮮にいるという情報がある
(15) 斉藤裕 昭和43年(1968)12月1日 北海道稚内市で失踪 当時18歳 高校生
 平成11年(1999)に韓国に亡命した権革(コン・ヒョク 自身が北朝鮮の国家安全保衛部に所属していたと証言)は、斉藤裕が昭和53(1978)年5月朝鮮人民軍偵察指導局の日本人教官で、翌年には泰川の軍官学校で日本語の教師をしていた。特殊部隊57軍校で「ヨンスン教官」と呼ばれていた。日本の風習や自衛隊のルール(生活規律)を指導していた。と証言。また平成12(2000)年に韓国に亡命した元北朝鮮人民軍大尉金国石は「1990年7月から1992年8月までの間、馬東煕大学の偵察指揮課程で時々見かけた」と証言。平成17年(2005)短波放送(同時期開始した「しおかぜ」と推定)で自分の名前が出たことを周囲に語ったことがきっかけになり退役。平安南道成川に移動。平成20年(2008)には平壌郊外の平城に移動したとの情報がある。
(16) 国井えり子 昭和43年(1968)12月12日 北海道網走市の自宅を出て失踪 当時17歳 高校生
 脱北者が提供した写真が、鑑定により「この写真の女性を国井えり子さんとして矛盾するものはないが、今後の検討を要する」とされた。
(17) 今井裕 昭和44年(1969)3月2日 青森県弘前市の自宅を出て失踪 当時18歳 高校生
 母親(故人)は失踪前から毎日一行日記をつけており平成2年(1990)1月から平成9年(1997)まで毎年一回無言電話があり、平成5年(1993)10月2日には午前9時半ころ自宅に電話で「裕を2~3日内に返す」と相手が言ったことが書かれていた。
(18) 大屋敷正行 昭和44年(1969)7月27日 旅行先の静岡県沼津市で失踪 当時17歳 高校生
 権革は「1997年頃泰山にある軍官学校で講習を受けた 120人くらいの軍人の中の一人で、3カ月ほど一緒に6人部屋で生活した」と証言。その時に本人から聞いた話として「拉致された数日後、日本国内の旅館のようなところに拘束され、そこから車で移動して船に乗せられ、北朝鮮に渡った」と言っていたという。「日刊ゲンダイ」令和元年(2019)6月23日付では軍官学校で同期だった別の脱北者の証言として「1977年、平安北道泰川の朝鮮人民軍総合軍官学校で軍事訓練を受けていた。名前は「キム・ミョンホ」、当時の階級は少尉だった。拉致後、収容所で語学や思想教育を受けて泰川に移動、軍人として本格的な始めたようだ。1988年前後に労働党幹部の娘で咸鏡南道咸興市の外国語大学教員と結婚した」と報じられている。
(19) 上田英司 昭和44年(1969)11月4日 東京都渋谷区で失踪 当時20歳 受験生
 安明進によれば「1990年「南朝鮮革命史跡館参拝のとき見た党幹部風の人物に酷似している」とのこと。ただし同証言では年齢と身長が合致しない。
(20) 七條一 昭和45年(1970)2月10日 石川県金沢市で失踪 当時21歳 大学生
 北朝鮮にいるとの情報がある
(21) 加藤久美子 昭和45年(1970)8月8日 福岡県北九州市で失踪 当時22歳 会社員
 安明進が「1988年、89年、90年金正日政治軍事大学内で横田めぐみさんと一緒にいた女性だと確信する」と述べている。
(22) 園田敏子 昭和46年(1971)12月30日 鹿児島県大崎町の自宅を夫一(はじめ)と出て失踪 当時42歳
 脱北者が「家族がよく似た日本人女性を見た」との情報がある。また「敏子さんに似ている」とする北朝鮮国内で撮影された写真を平成25年(2013)に報道関係者が入手している。「Flash」平成29年(2017)12月12日号によれば「清津港に連行され、思想教育を受けた。そこで知り合った工作員と結婚し二人の男の子ができた。河面の長屋式住宅に住んでいた」と報道。また「日刊ゲンダイ」令和元年(2019)6月24日号によれば脱北者Kの証言として「平成18年(2006)頃の情報でイ・スンオクと名乗り。北東部の咸鏡北道セビョル郡河面の労働者区域に1980年代から住んでいた」としている。
(23) 生島孝子 昭和47年(1972)11月1日東京渋谷区で失踪 当時31歳 電話交換手
 韓国人経済博士で一家で北朝鮮に渡り、のちに韓国に再亡命した呉吉男(オ・ギルナム)が「1985年に平壌の高級アパートに滞在中、同じアパートに住み日本語を教えていた日本人女性と会話した。その女性は生島孝子さんによく似ている」と証言した。呉吉男は後に来日し母・姉とも会って本人であると伝えている。また失踪翌日夜電話があり無言の時間が続いた後、「いまさら仕方ないだろ」との一言とともに切れた。
(24) 遠山文子 昭和48年(1973)7月 石川県羽咋市で元会社同僚男性と失踪 当時21歳 会社員
 ①の情報以外に権革によれば「1993年9月に清津連絡所で会い、一緒に食事をした。身長157㎝くらいでふくよか、活発な性格」と証言。
(25) 古川了子 昭和48(1973)年 千葉県市原市の自宅を出て失踪 当時18歳 会社員
 安明進が「平壌の915病院に入院していた1991年秋、病院の広い敷地内で古川さんによく似た人と遭遇し対話した」と証言。安明進は平成17年(2005)~19年に提訴した特定失踪者の代表としての古川了子の拉致認定を求める行政訴訟の折に、東京高等裁判所の法廷で証人陳述している。
(26) 渡辺秀子 (27) 高敬美 (28) 高剛 昭和48年(1973)〜49年 東京都内で失踪 秀子は当時32歳。長女敬美6歳。長男剛3歳。
 秀子については日本国内で殺害されたとする説と北朝鮮に拉致されたという説がある。敬美と剛は49年6月に福井県小浜市の岡津海岸から北朝鮮へ連れ去られたと見られている。また二人については比較的最近の状況について二つの異なる情報がある。
(29) 波多野幸子 昭和49年(1974)1月12日 福岡県福岡市で同僚の三浦和彦と失踪 当時18歳 会社員
 代表荒木がかつて中国瀋陽で会った人物から田中実に関する情報を聞いた際、田中の妻が波多野に似ているとの証言を得た(但し本人はあくまで似ていたと言っていただけで別人の可能性はある)。
(30) 大澤孝司 昭和49年(1974)2月24日 新潟県佐渡島で失踪 当時27歳 県庁職員
 北朝鮮で農業関係の仕事をしていたが既に引退しているとの情報がある。

きょうは以上の方々の情報が放送された。
救出への道コーナーは2023年作文コンクールから中学生優秀賞作品の朗読である。
「日本政府からご家族の声」は田口八重子さんへ、飯塚耕一郎さんから、2022年12月国際シンポジウムでのメッセージが出ている。あとはいつものように日本への脱出に際しての注意喚起が出ている。

1300代の朝鮮語と日本語放送は12045、9705、7295kHzが強力である。すべてジャミングは出ていない。この時間は毎日同じ番組が出ている。

1430の「ふるさとの風」は9560、7290kHzが強い、7520kHzもクリアーに聞こえている。7290kHzには同波のCNR1が混信しているが弱く影響はない。懐かしい日本の歌は「肩たたき」である。
「拉致問題解説」は松木薫さんについて。1980年5月頃スペイン留学中に消息を絶った。1988年に石岡亨さんから日本の家族あてに8月13日付のポーランドの消印で手紙が届き、平壌で生活していると伝えてきた。その後よど号ハイジャック犯とその関係者によって増元るみ子さんを含め3人が平壌へ連れて行かれたことが判明している。北朝鮮は1996年8月交通事故で死亡と発表、しかしこれは拉致を認めて2002年に急遽死亡確認書をねつ造したもので、ニセ遺骨を出すなど客観的なことは何も示されていない。
「ふるさとの声」は松木薫さんへのメッセージ、弟さん松木信弘さんから、2023年12月の収録である。次に2020年12月、そして2019年12月収録のメッセージが出ている。お姉さん斎藤文代さんから、2019年12月に熊本で収録したメッセージ。そして2019年5月、東京の国民大集会での収録から。「今日の一曲」はミュージックボランティア、うらた剛さん作詞作曲の「薫の約束」である。お姉さん斎藤文代さんが、うらた剛さんに依頼し松木薫さんへの思いを込めて作られた曲である。この番組は2024年2月5日、16日、26日、3月7日、19日、29日、4月5日、12日、22日、5月2日、13日、24日、6月3日、14日、24日、7月4日、16日、26日、8月5日、15日、26日、9月6日、16日、26日、10月7日、18日、28日と同じ内容である。

  
Posted by Hiroshi at 00:01Comments(0)Shiokaze/Furusato no Kaze