どこの市町村にもある歴史民俗資料館なる施設、その多くは平日の週一日が休みというのがほとんど。ところがある町の資料館は日曜日だけ開館しているところがある。今日行く機会があったので訪れてみた。決して大きくはないが3階建ての立派な館である。その町の歴史な遺産などが数多く展示してある。珍しいところでは戦前のラヂオ受信機が10点近く展示してあるのが目を引いた。
日曜日1300の「しおかぜ」は6085kHzが強力に入感している。しかし7345kHzはCNR7と互角の勝負、平均すれば中国語のほうが優勢である。公開されている失踪者の氏名生年月日、失踪年月、当時の年令などが読み上げられている。
この番組は8月21日、9月25日、10月9日などと同じ内容である。
1300の「にっぽんの風」と1330の「ふるさとの風」は7295、7585、9705kHzが良好である。今日の放送まで同じ番組である。
1430の「ふるさとの風」は7290kHzがCNR1の混信が強い。7520と9560kHzは良好である。懐かしい日本の歌は「どこかで春が」で始まった。
拉致問題解説は田口八重子さんについて、1978年6月ごろ、東京高田馬場のベビーホテルに2歳と1歳の子供を預けたまま行方不明に。当時22歳である。日本人を偽装し大韓航空機爆破事件を起こした北朝鮮工作員・金賢姫(キム・ヒョンヒ)の証言から、田口八重子さんがこの北朝鮮工作員の教育係を務めたことが明らかになっている。北朝鮮はこうした事実や大韓航空機爆破事件そのものへの関与を完全に否定している。しかし、田口さんは、別の拉致被害者(2002年に帰国)に対して、「1981年から1983年にかけて「オッカ」(金賢姫の別名)という名の女性工作員と共同生活した」ことが確認されている。
また、北朝鮮は、「田口さんは、1984年に別の拉致被害者・原敕晁さんと結婚し、1986年7月に原さんが病死したため、精神的な慰労のための旅行中に交通事故で死亡した」と説明している。しかし、帰国した拉致被害者は、田口さんとは1986年7月頃まで同じ招待所にいたが結婚の事実はなかったと証言しており、したがって、「原さんの死後、交通事故で死亡した」という北朝鮮側の説明は信用できるものではない。
北朝鮮側は、田口さんが大韓航空機爆破事件の実行犯の教育係を務めていたという事実を隠そうとしている。もちろん事件そのものを北朝鮮は韓国のデッチ上げだとし認めていない。
「ふるさとの声」は田口八重子さんへのメッセージ、お兄さんの飯塚繁雄さんから、2019年12月1日に逝去された。これは2020年1月収録のメッセージである。続いてお兄さん本間勝さんからは2020年10月24日収録したメッセージ。そして長男、飯塚耕一郎さんからは2021年12月の国際シンポジウムにて収録したメッセージが出ている。
「今日の一曲」は1972年のヒット曲、山本リンダの「どうにも止まらない」である。この番組は2022年4月10日、5月1日、8日、22日、6月2日、12日、22日、7月2日、14日、24日、8月3日、14日、8月24日、9月4日、14日、25日、10月5日、16日、27日と同じ内容である。