2009年09月26日

あれから50年

昭和34年9月26日、忘れることの出来ない、台風15号、伊勢湾台風が襲来、未曾有の被害をもたらした。

その日も、今年と同じ土曜日、台風が来るということから定時で仕事を切り上げ帰宅しようとしたが、とき既に遅し。市電も、名鉄電車も既に架線が垂れ下がり、運行不能に。
辛うじて動いていたしバスのバンパーに足をかけ行けるとこまで。強風で思うように歩けなかった。高潮で多くの死者が出たとさてるが、多くは貯木場から流れ出た巨木で大きな被害となった。今なら管理責任が問われる出来事だ。

毎日校庭に並べられた遺体を目の当りにしながらの通勤がしばらく続いた。当時の新聞には亡くなった人の氏名が掲載されている。学校などに避難している人たちの氏名まで載っていた。これで多くの友人、知人の名前を見ることになる。今なら余計なお世話だと氏名など掲載できないだろう。

当時の新聞を見ると、町内会に入っていないからということで、救援物資がもらえないといった記事もある。今では死語となってしまった、村八分が堂々と行われていた時代だった。

今のようにボランティア活動という言葉もなかった。しかし自発的に多くの人たちが救援活動をしていた。その中に中学校時代の恩師の姿もあった。ところが2年後に、職場放棄という事で県外へ飛ばされた。被災した生徒たちの家へ見舞いに行ったり炊き出しなどをしていたことが、教師としてあるまじき行為と言う事だ。組合活動が盛んな時代だったから、これぞとばかり難癖を付けてのことだった。

今では考えられないことが当時は行われていたのだ。時代背景が違うといえばそれまでだが、この台風をきっかけに、天気予報が放送されるようになり、台風情報が早くから分かるようになった。

今、当時と同じ規模の台風が来ても、5000人もの犠牲者が出ることは考えられない。たとえ高潮で浸水してもそれだけだ。大木で住居などが破壊されることはないだろう。2年後、昭和36年の室戸台風にはその教訓が生かされ、犠牲者は少なかった。

護岸工事で今は当たり前になっている、テトラポット、50年も前から使われているが、これが使われていた海岸堤防の被害が皆無だったことから、その後全国で使われる事となった。伊勢湾台風で波消しブロックの威力が実証されたのが初めてのことだ。
Posted by Hiroshi at 00:45│Comments(0)Japan
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