8月6日、1300の「しおかぜ」は日本語放送が出てきた。6040kHzは若干ジャミングが気になるが6175kHzは八俣の電波が強く受信状態は良好である。
まず、北朝鮮から解放された米博士が「日本人7人前後とひそかに会った」とし、これが拉致被害者だとしている。
北朝鮮にスパイ容疑で拘束され、2018年5月に初の米朝首脳会談に先立ち解放された韓国系米国人博士、ドンチョル・キム氏(66)が28日までに、産経新聞の単独インタビューに応じた。キム氏は多くが「甘言による拉致被害者だ」との判断を示した。
キム氏が日本人との接触を公表するのは初めて。
北朝鮮北東部の経済特区、羅先(ラソン)市で事業を行いながら市の要職にあったキム氏は、接触した日本人から「同じような日本人が周辺地域だけで25人前後いる」ことも聞いたと証言した。7月29日付の産経新聞から一部を引用している。
キム氏は日本人を名乗る複数の男女と接触し、「若いときに『最高の待遇が受けられる』と誘い出された」と、拉致されたことを示唆した女性もいた。女性はだまされていたことに気づいたが、帰国できずにいるという。
1970~80年代に北朝鮮に連れ出され、北朝鮮人と結婚し、子供をもうけた人が多い。日本語教師や船の修理など、就いていた職業は多様だ。60、70代ぐらいの人が多く、「死ぬ前に日本の家族に一目会いたい」と家族宛ての手紙を託した男性もいた。
キム氏は、脱北を持ち掛けた別の男性もいたが、家族への危害を恐れ、応じなかったと振り返った。通常は監視下に置かれ、多くが「帰国を諦めている」と漏らしていたともしている。
50~80年代には在日朝鮮人の帰国事業が推進され、同行した日本人妻もいた。キム氏は、自分が会った7人前後の日本人は日本人妻らと管理が異なり、周囲の証言からも元在日や日本人妻ではないと判断したとしている。一方で、日本語が理解できず、日本人らの名前は覚えていないとした。
キム氏は「日本政府には自由を奪われ、祖国に帰れない自国民を救い出す責任がある」と主張。日本政府の依頼があれば、積極的に協力する意向も示した。
続いて新型コロナウィルスの感染状況について、日本も韓国も死亡者数が少ないこと、北朝鮮も感染者が出ていることなど。韓国から北へ入った人が感染を広めたとしているがこれはウソ。もしこれが事実とすればこの逆もあるわけで脱北をしてきてほしいと述べている。
「救出への道コーナー」は7月11日産経新聞に掲載された「めぐみへの手紙」が読み上げられている。
めぐみちゃん、こんにちは。必ず再会するという決意を胸に、幾度となく、いとしいあなたの名前を呼びかけてきましたね。めぐみちゃんに、大切なことを伝えなければなりません。6月5日午後2時57分。あなたが大好きなお父さんが、天国に召されました。
病床にあって、いつも笑顔をたたえ、あなたを強く思いながら、最期まで静かで、穏やかな、お父さんらしい旅立ちでした。あなたの写真に囲まれ、たくさんの祈りにも支えられて、優しい光の中に包み込まれるように、スッと天に引き上げられていきました。
何から伝えればよいのか-。めぐみちゃん、伝えたいことがあまりに多く、うまく言葉につづれません。
お父さんが天に召されてから、皆さまの励まし、力強い慰めの声を次々と頂きながら、一つ一つにしっかりと、お応えするいとまもなく、結局、目まぐるしい日々が過ぎていきます。
静かに思いを巡らせる余裕はありませんが、めぐみちゃんと必ず再会し、抱き合えるという確信はますます強くなりました。支えてくださる皆さまの存在が、勇気となっています。
42年間、あなたの姿を追い、全身全霊で闘ったお父さんは、最期に力強い信仰も得て、世の本質をしっかりと見据えながら、お母さん、弟の拓也、哲也たちへ思いを託し旅立ちました。
お父さんは晩年、思うように言葉が出にくくなりました。でも、その胸中は優しく、毅然(きぜん)とした姿ににじみ出ていました。「めぐみたちを全員救い出す。最後に必ず、正義をかなえる」
誰にも等しく、誠実であろうとしたお父さんの思いを、引き継がなければなりません。めぐみたち残る被害者全員に祖国の土を踏ませる。お母さんは、先に天に召されていったお父さんたちが、人生の闘いの末、見届けられなかった正義の結実をかなえたいのです
日本の国民の皆さま。政治家、官僚の皆さま。遠く離れた異国で救いを待つ子供たちの姿を、わがこととして思ってください。世界が一つとなり、拉致という非道極まる国家犯罪の現実を改めて直視し、残酷さをかみしめ、すべての子供たちを救うための闘いを、後押ししてください。
解決への切望を言葉に発して行動に移し、北朝鮮の最高指導者が全面解決を決断するよう導いて、世界に平和をもたらしていただきたいのです。お母さんたちも、命の炎を燃やし、全身全霊を注ぐ決意でいます。
昭和52年11月15日、めぐみちゃんが姿を消し、何も見えない地獄の20年間を経て、北朝鮮に捕らわれていることが分かったのが平成9年。おりしも、全国の被害者の肉親が集い、家族会が結成され、代表に推されたお父さんは、救出運動の最前線に立ちました。
どこにでもいる庶民のお父さんは強烈な重圧に耐えていたはずです。救出の糸口になると信じ、危険を承知でめぐみの実名を明かすことを決断しました。家族の代表として北朝鮮、時には日本政府に解決を迫る意志と行動を示しました。講演や署名活動で全国を駆け回り、体力は限界を超え、気力だけが頼りでした。
平成30年4月、体調を崩したお父さんは、入院しました。病院での療養は天から与えられた休息であり、めぐみちゃんとの再会まで命をつなぐ、新たな闘いの日々でもありました。
お父さんが「苦しい」だとか「辛い」だとか、後ろ向きの言葉を発することはありませんでした。病院の方々に支えられいつもニコニコ、一刻を大切に生きていました。一生懸命、リハビリにも取り組みました。
今年に入り、お父さんの体力が徐々に衰える中で、新型コロナウイルスが蔓延(まんえん)し、お母さんは心配で仕方ない日々を過ごしました。
「ウイルスの惨禍の下で私たちの命も、希望も、無残に消えてしまうのか」
見舞いに行き、身体をさすってあげることさえもできない。自宅のベランダに咲いたバラのスケッチや、手紙を病院に預けて、お父さんの耳元で読み上げていただきました。
旅立ちの日には拓也や哲也、その家族、お父さんの弟たちも駆けつけました。その時が近づくと、病院の方が、強く呼び掛けるようおっしゃいました。一瞬でも長く引き留めて、ということだったのでしょう。
でも、お母さんは、うっすら涙を浮かべたお父さんの安らかな顔を見つめながら、「最期まで頑張ったね。もう安心して。天国に行けるよ。また会えるよ、待っていてね」と、あらんかぎりの力で伝えました。
今年2月、神戸の有本恵子さんのお母さん、嘉代子さんが94歳で天に召されました。お父さんの明弘さんも既に92歳です。思うように動けなくなった私たち親にできることは世の中へ懸命に訴えることだけです。
生老(しょうろう)病死。すべての命は平等に、生きる苦しみと直面します。そして命には限りがあります。私たち家族に複雑な国際情勢は理解できませんが、コロナの災禍に見舞われ、先の見えない世界に、そこはかとない、不穏な気配も感じます。
重ねて、私たち年老いた家族に残された時間は本当に、本当に、わずかです。大きな喜び、正義がなされる光景が一刻も早く、実現されることを祈ります。
めぐみちゃん。これほど辛く、長い時間を待たせてしまって本当にごめんね。お父さんは今頃、空の上から、あなたの姿を見つけていることでしょう。必ず、あなたを抱きしめる日が来ることを確信しつつ、新たな一日を生きていきます。
「日本政府からご家族の声」は2020年2月3日に逝去された有本嘉代子さんから2019年1月収録のメッセージ、が出ている。このあと緊急放送ISに次いで日本への脱出指南が告知されている。後半1330は朝鮮語放送である。