2016年04月01日

3月31日「しおかぜ」

3月31日の5935kHz、ノイズジャミングの中八俣の信号はかなり強いようだ。西蔵放送の混信はほとんどわからない、木曜日は前半・後半とも英語放送が出ている。受信状態は概ね良好だ。

1300代の9950kHzは昨日のようなこともなく、台湾からの電波は極めて弱い。ほとんど聞き取り不可能である。後半の日本語放送も回復せず、蚊の鳴くような状態だ。
A16から台湾送信が増えると読んだが、今のところその兆候はない。ただ単にHFCCへ登録しただけなのか。

1405の「しおかぜ」は5935kHz、ジャミングの中「ふるさとの風」が始まった。「こちらはJSRしおかぜです。東京から北朝鮮におられる拉致被害者のみなさん、様々な事情で北朝鮮に渡って戻れなくなった皆さんへ、放送を通じて呼びかけを行っています。しおかぜは拉致被害者に関する北朝鮮包囲網形成のためこれまでも日本政府とあらゆる形で連携を図ってきました。この時間は日本政府制作による日本語番組「ふるさとの風」をお送りします。最後までお聞きください。」このアナウンスの後1330と同じ番組が出ている。ただし出ているのは3月第4週の番組(一週間前に放送)である。

1430の「ふるさとの風」は9960kHz、パラオ送信は強い。ジャミングはわからない、受信状態は良好である。懐かしい日本の歌「汽車」で始まった。拉致問題解説は田口八重子さんについて。1978年6月ごろ東京高田のベビーホテルに2歳と1歳の子供を残したまま拉致された。当時22歳である。日本人を偽装し大韓航空機爆破事件を起こした北朝鮮工作員・金賢姫(キム・ヒョンヒ)の証言から、田口八重子さんがこの北朝鮮工作員の教育係を務めたことが明らかになっている。北朝鮮はこうした事実や大韓航空機爆破事件そのものへの関与を完全に否定している。しかし、田口さんは、別の拉致被害者(2002年に帰国)に対して、「1981年から1983年にかけて「オッカ」(=金賢姫の別名)という名の女性工作員と共同生活した」ことが確認されている。
また、北朝鮮は、「田口さんは、1984年に別の拉致被害者・原敕晁さんと結婚し、1986年7月に原さんが病死したため、精神的な慰労のための旅行中に交通事故で死亡した」と説明している。しかし、帰国した拉致被害者は、田口さんとは1986年7月頃まで同じ招待所にいたが結婚の事実はなかったと証言しており、したがって、「原さんの死後、交通事故で死亡した」という北朝鮮側の説明は信用できるものではない。
北朝鮮側は、田口さんが大韓航空機爆破事件の実行犯の教育係を務めていたという事実を隠そうとしている。もちろん事件そのものを北朝鮮は認めていないし、韓国も機体引き上げの捜査をしないなどおかしな事件である。
ふるさとの声は田口八重子さんへのメッセージ、お兄さんの飯塚繁雄さんから2015年3月4日収録されたもの。お兄さん本田勝さんからのメッセージは2015年8月に制作されたビデオメッセージから本間勝さんの、家族のメッセージが放送された。最後に2015年9月に東京で開催された「最終決戦のとき!不退転の決意で全員救出を!国民大集会」で収録した飯塚耕一郎さんからのメッセージが出ている。今日の一曲は1975年のヒット曲布施晃の「シクラメンの香り」が再登場。この番組は2月15日、24日、3月4日、13日、22日と同じ番組であるが最後の周波数アナウンスは更新されている。
  
Posted by Hiroshi at 00:00Comments(0)Shiokaze/Furusato no Kaze