2009年10月17日

10月16日ふるさとの風

16日も11825kHzは、昨日と、ほぼ同じ状態で聞こえている。
懐かしい日本の歌「ふるさと」で番組は始まった。~うさぎ追いしかの山~、いつ聞いても心にしみる歌である。

ふるさとからのメッセージは、田口八重子さんへのメッセージ。今までにこの呼びかけが何回繰り返されたことだろう。
この放送は冬スケジュールでも引き続き行われる。世界にも類の無い拉致被害者向けの放送が毎日放送されている。
現状を見ていると、この放送がなくなることは無いだろう、予算カットも現実には出来ない。

16日の番組は10日と同じものだが、この中で拉致被害者救出のために作られた歌、「翼」、本当に翼があったら飛んで行きたい気持ちが良くにじみ出ている。
拉致被害者を今尚拘束している国へのこのこ出かけるマスコミ、一体何のために行くのか、土産持参で行き、帰りは手ぶら、一体何の弱みを握られているのか。SOS

もしも・・・ もしも悲願(ねがい)が叶うなら
この腕を 翼に変えて
力の限り飛んでいきたい あの子のもとへ
幾年も 季節は巡り
咲く花も 川の流れも変わらねど
父も母も 老いて小さくなりました
だけど 瞼に焼き付く幼いあなたは
あの日のままで 微笑んでいる
寂しかろう辛かろう 北の彼の地は
戻れ戻れこの胸に
もしも・・・ もしも思慕(おもい)が届くなら
この魂(こころ)カモメに託し
絆の意図を届けて欲しい あの子のもとへ
今日もまた 星空仰ぎ
いつの日か 会えるその日を祈りつつ
合わす両手 皺もいつしか増えました
けれど 健気に生きているあなたを思えば
どんな苦労も 厭いはしない
ひもじかろう寒かろう 北の彼の地は
帰れ帰れこの腕に 父の腕に
いつか 戻る日信じて耐え抜いてるあなたを
片時だって 忘れはしない
泣きたかろう切なかろう 北の彼の地は
帰れ戻れ故郷に 家族のもとに
帰れ戻れ故郷に 家族のもとに


この曲は2007年に作られた。CDのジャケットにはこう書かれている。
  1986年4月、私は北朝鮮平壌の地を踏んだ。
 
   演奏会を終えてホテルに戻る車中からデパートが目に飛び込んできた。通訳に言った。 
 『貴国の楽器を見たいので案内して欲しい』と。帰ってきた言葉は『先生、二時間待ってください』だった。
 私は彼が忙しくて時間がとれないのであろうと思っていたが、それは大きな間違いであった。
 実はその間“お客様集め、人集め”をしていたのである。
 車中から見たデパートは確かに明かりがなく、人影もなかったはずだが、二時間後訪れた時は人の波!
 そしていつの間にか電気がついて照明が煌々と光っていた。
 何か違和感を感じた一瞬である。
 帰国後10年、発覚したのは非人道的な行為、拉致であった。
 多くの拉致被害者家族の悲痛な叫びを、私は直接この耳で聞いた。
 私は動く決心をした!その家族の方々の思いを歌に乗せて、北の地まで必ずや届けと!
 北の行為は、百万言説明しようが、弁明しようが、ゆるせない!
 許してはいけない!
 断じて許さない!
 
  北からの1日も早い帰国の実現を願って 
          藤井ひでりょう



定点観測ができなくった19mbを除いて、SOHの動向を。
Daily special
October 16 SOH
1530-1600 12120kHz
2200-2230 7550kHz

結局16日は5回の放送のうち、この2回しか確認できなかった。
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