金曜日1300の「しおかぜ」は7280kHzが若干スキップ気味ながら聞こえている。7335kHzはCNR2につぶされている。先週と同じ番組で日本語放送「日本海にかける橋」である。
11月19日、林内閣官房長官兼拉致問題担当大臣が総理大臣官邸において、「特定失踪者(北朝鮮による拉致の疑いを排除できない失踪者)家族有志の会」(特定失踪者家族会)の御家族等と面会した。その際に石破総理宛の要請文書が読み上げられている。
先回の続きで、拉致被害者は北朝鮮にいるという譲歩である。さる10月29日特定失踪者問題調査会の記者会見「北朝鮮における証言・情報について」で発表した資料が読み上げである。
(31) 関谷俊子 (32) 遠山常子 昭和49年(1974)7月11日 千葉市内から関谷の親戚峰島英雄の車で出たまま3人とも失踪。当時2人とも17歳 会社員(定時制高校生徒) 北朝鮮にいるとの情報がある。
(33) 萩本喜彦 昭和50年(1975)4月4日 兵庫県高砂市の自宅を出て失踪 当時35歳 工員
昭和51年(1976)に亡命した元北朝鮮工作員金東赫(キム・ドンヒョク)が昭和50年(1975)8月に平壌曲技劇場の入り口で目撃、その後も平壌で二度ほど目撃したと証言している。これと別に北朝鮮にいるという情報がある。
(34) 藤田進(埼玉) 昭和51年(1976)2月7日 埼玉県川口市の自宅を出て失踪 当時19歳 大学生
平成16年(2004)、脱北者が所持したていた身分証明書と思われる写真が、法人類学の鑑定などの結果、藤田進本人である可能性が極めて高いことが判明、後に警察も同様の結果を示した。同じ人物の写真は別のものがもう一枚ある。また安明進が「金正日政治軍事大学の会議場横の卓球場で市川修一さんとともにいるのを目撃した」と証言。藤田進拉致に関わったという人物の証言も存在する。
(35) 福留貴美子 昭和51年(1976) 羽田空港から出国して失踪 当時24歳 会社員
モンゴルに行くと言って出国したのち失踪。北朝鮮でよど号ハイジャック犯の岡本武と結婚。昭和55年3月に日本に入国し横浜市の友人宅に2泊している。その後「大阪に行ってから田舎(高知県)に帰る」と告げて別れたが、実家には姿を見せず6月24日に大阪国際空港から出国した。1988年に土砂崩れで死亡したとされるが、生存情報もある。
(36) 国広富子 昭和51年(1976)8月2日 山口県宇部市の自宅を出て失踪 当時24歳 看護師
権革が「平壌市の中央党幹部の自宅でのパーティーで、差し入れを持ってきて挨拶を交わした女性に似ている」と証言。また「羅津の外国人宿舎で生活している」との情報もある。
(37) 玉井敏明 昭和52年(1977)1月30日 大分県別府市で失踪 当時30歳 スナック経営
河日の以下の証言がある。
「マンダル山での訓練を終えた時に、マンダル山の中で会った人とよく似ている。その場所は、射撃や暗殺の訓練所で、普通の人は近寄れない場所だ。四人連れだった。アラブ人のように髭を生やしていた。彼らは、お互いに日本語で話していた。最初、特殊部隊かと思った。1985年のことだ。彼らは、階級章のない訓練服を着ていた。私が話しかけたら、彼らは手を振って、「ダメだ」というような感じだった。その10年後に、私の上司のところに行ったとき、彼は日本円をたくさん持っていた。その時に、北朝鮮は韓国に侵入するだけではなく、日本にも侵入するのだと知った」
(38) 仲里次弘 昭和52年(1977)5月 神奈川県茅ヶ崎市で失踪 当時26歳
平成14年(2002)8月、沖縄の姉宅に標準語の男の声で「次弘さんは北朝鮮に居ると思います」と不審な電話があった。また、脱北者と称する人物から「チュウさんと呼ばれる日本人が居た」旨の電話が自宅に入るも未確認。
(39) 古都瑞子 昭和52年(1977)11月14日 鳥取県米子市で失踪 当時47歳 皆生温泉の中居
北朝鮮の劇団『血の海歌劇団』で活躍した元踊り子で、大連経由で夫とともに韓国に亡命した女性、金聖愛の目撃証言。「姑の親友にとてもよく似ています。90年、清津の外貨食堂で行った私の結婚式で歌と踊りを披露してくれました(聖愛さんが口ずさんだメロディーは牧村三枝子の『みちづれ』だった)。踊りは日本の伝統的な踊りだそうで、とても上手でした。そのとき『SEIKO』の腕時計をお祝いにもらったのを覚えています。…(中略)…出会ったときは60歳ぐらい。…(中略)最後に会えたのは02年2月ごろ。そのときも姑の自宅の前に住んでいました」(「フライデー」平成16年1月23日号)
(40) 金田龍光 昭和54年(1979) 兵庫県神戸市で失踪 当時26歳ないし27歳
政府認定拉致被害者田中実と同じ児童養護施設で育ち神戸のラーメン店「来大」で働き、田中実さんを紹介して共に働いた。田中がウイーンに向けて出国したのち、田中からの誘いでウイーンに行く気持ちになって東京へ打合せとして向かったまま一切連絡取れず。平成26年(2014)のストックホルム合意以降、北朝鮮側から日本政府に対して「北朝鮮に居て妻子がいる」と伝えられた。
(41) 山田建治 昭和54年(1979)12月18日 富山県高岡市で失踪 当時30歳
安明進が目撃した人に似ている(ただし身長が若干異なる)
(42) 小久保稔史 昭和55年(1980)1月13日 京都府舞鶴市で失踪 当時32歳 船員 北朝鮮にいるとの情報がある。
(43) 長尾直子 昭和56年(1981)3月16日 北海道札幌市の自宅を出て失踪 当時20歳 北朝鮮にいるとの情報がある。
(44) 安達俊之 昭和56年(1981)6月20日 石川県鶴来町(現白山市)の自宅を出て同僚女性とともに失踪。当時18歳 ホテル従業員
2002年に帰国した拉致被害者地村保志が、足達さんの高校時代の写真を見て「北朝鮮でよく似た人を見た」と父親に話し「平壌の売店で、夫婦だった。監督がついていたので話すことはなかったが、何度も目撃している」と話したと言われている(本人は否定)。
(45) 河嶋功一 昭和57年(1982)3月22日 神奈川県横浜市の下宿を出て失踪 当時23歳 大学生(卒業直後)
平成21年(2009)4月6日付朝鮮労働党機関紙「労働新聞」に掲載された写真が河嶋であるとの情報がある。その情報自体は否定する声もあるものの、情報の出方が矢倉富康に関わる情報と似ており、その写真自体はともかく、河嶋の北朝鮮にいることを示唆する情報であった可能性がある。
(46) 松本重行 昭和58年(1983)10月17日 京都府舞鶴沖で失踪 当時48歳 漁船員
北朝鮮にいるとの情報がある。
(47) 山本美保 昭和59年(1984)6月4日 山梨県甲府市の自宅を出て失踪 当時20歳 受験生
①の情報以外に権革は「1993年頃、5454部隊で何度か見かけた女性にそっくりだ」「運動場でバレーボールに興じている山本さんも目撃されている」と証言している。
(48) 林かな子 昭和60年(1985)11月22日 東京都世田谷区の自宅を出て失踪 当時25歳 会社員
北朝鮮にいるとの情報がある。
(49) 亀谷博昭 昭和61年(1986)1月11日 大阪府寝屋川市の自宅を出て失踪 当時23歳 会社員
中国の情報提供者から「祖父が平成2007年貿易で平壌に行ったとき会った」と伝えられている。
(50) 西安義行 昭和62年(1987)3月15日 京都府綾部市で失踪 当時21歳
北朝鮮で撮影したと思われる写真が出てきている。
(51) 尾上民公乃 昭和62年(1987)6月6日 大阪府大阪市内で失踪 当時20歳 飲食店店員
北朝鮮にいるとの情報がある
(52) 矢倉富康 昭和63年(1988) 境港から漁に出て失踪 当時36歳 漁師
平成19年(2007)平壌を訪れた日本人の撮ってきた写真の中に矢倉に似た人が写っているとの情報があった。これについては発表後当該人物の関係者が別人であると証言しているが、情報の出方自体が何らかの意図を持ったものである可能性もある。
(53) 和田幸二 昭和63年(1988)8月19日 宮崎県南郷町で失踪 当時31歳 漁師
河日が以下のように証言している。
「確信はないが、よく似た人がいた。1993年から1996年の頃の話だ。背が高い人だった。空調機の仕事をしていた。80人ぐらいのグループで仕事をしていた。その班長をしていた。労働党にも入党した。豊かな生活をしていた。1997年ごろ、突然いなくなった。その理由は、経歴詐称の罪に問われたからだったのではないか。周りの人は、彼のことを日本から来た在日朝鮮人だと言っていた。羊角島ホテルの建設に従事していた。自分はその工事で1200人ぐらいの人を管理する仕事についていた。「その中に、日本人がいる」という話を聞いたことがあった。彼は優れた技術者で、電気の仕事の班長もしていた」
(54) 大政由美 平成3年(1991)3月28日 韓国慶州市で失踪 当時23歳 大学研究生
韓国から北朝鮮に拉致されたとの情報がある。
(55) 佐々木悦子 平成3年(1991)4月22日 埼玉県浦和市(現さいたま市)当時27歳 銀行員
権革が「1994年6月頃、5454部隊の通信局で会った」「(5454部隊の中に)女性拉致被害者をひとまとめに『木蘭花組』とも呼ばれていた」「通信局のテレビモニターの前で佐々木さんを含む4人の女性(うち一人は朝鮮人)が一つのチームとしてモニターチェックをしながら解析(翻訳作業)をしていた5メートルほどの至近距離でその様子を観察した」と証言。また別の亡命者が平成7年(1995)頃、日本の風習を教えていた日本人女性の教官によく似ていると証言している。
(56) 小野寺将人 平成3年(1991)7月19日 北海道富良野市で失踪 当時24歳 ホテル従業員
北朝鮮にいるとの情報がある。
(57) 森本規容子 平成3年(1991)9月22日 兵庫県西宮市で失踪 当時19歳 会社員
北朝鮮にいるとの情報がある。
(58) 橘邦彦 平成3年(1991)10月15日 静岡県沼津市で失踪 当時19歳 専門学校生
北朝鮮にいるとの情報がある。
(59) 福山ちあき 平成3年11月3日大阪府大阪市で失踪 当時18歳 高校生
北朝鮮にいるとの情報がある。
(60) 松橋恵美子 平成4年(1992)1月15日 秋田県能代市で失踪 当時26歳 会社員
北朝鮮にいるとの情報がある。
(61) 武山京子 平成4年(1992)6月12日 北海道浜益村で失踪 当時56歳 会社員
北朝鮮にいるとの情報がある。
(62) 田中正道 平成5年(1993)6月7日 千葉県習志野市で失踪 当時44歳 建設関係の職人
北朝鮮にいるとの情報がある。
(63) 富川久子 平成6年(1994)2月14日 沖縄県石垣市で失踪 当時35歳
脱北者の「北朝鮮で目撃した女性に似ている」との情報がある。
(64) 中村三奈子 平成10年(1998)4月6日 新潟県長岡市で失踪。当時18歳 受験生
北朝鮮にいるという情報がある。
(65) 林雅俊 平成10年(1998)5月12日 岐阜県垂井町の自宅を出て失踪 当時23歳 大学院生
北朝鮮にいるという情報がある。
(66)辻出紀子 平成10年(1998)11月24日 三重県伊勢市で失踪 当時24歳 記者
北朝鮮にいるという情報がある。
救出への道コーナーは増元輝明さんから、2023年作文コンクール中学生部門特別賞「一歩踏み出そう」、新潟市立寄居中学校3年、藤田孝惇さんの朗読が出ている。
続いて「日本政府からご家族の声」は横田めぐみさんへ、2015年に収録されたお父さん横田滋さんのメッセージである。そして日本への脱出に際しての注意喚起が出ている。後半1330は朝鮮語放送「富士山は知っている」が聞こえている。
1300代の朝鮮語と日本語放送は12045、9705、7290kHzが聞こえている。7295kHzにはジャミングが出ており若干聞きづらい。この時間は毎日同じ番組が出ている。
1430の「ふるさとの風」は台湾送信の7290と9685kHzが強力である。タシケント送信の7520kHzは弱いが、音になる実用レベルはある。懐かしい日本の歌は「ドレミの歌」である。
「拉致問題解説」は増元るみ子さんについて。1978年8月12日鹿児島県吹上浜で市川修一さんとともに拉致された。当時24才であった。二人は1979年7月20日結婚し、1981年8月17日心臓マヒで死亡したとされる。しかし結婚した事実もなく、何の前触れもなく死亡したというのはいかにも不自然であり、2002年9月に北朝鮮の捏造死亡診断書で死んだことにされてしまった。死亡を確認する客観的事実は何もない。
「ふるさとの声」は増元るみ子さんへ。弟さん増元照明さんから2023年10月鹿児島県で開催された共同公開収録のメッセージである。続いて、お姉さん平野文子さんからのメッセージは2024年6月の電話収録から。同じく2020年6月に電話収録したメッセージである。そして2019年12月熊本県での国民の集いで収録したメッセージである。
「今日の一曲」は1976年のヒット曲沢田研二の「コバルトの季節の中で」、この曲は1978年秋から約一年間、拉致被害者の蓮池由紀子さんと増元るみ子さんが北朝鮮で一緒に暮らしていた際、由紀子さんがるみ子さんによく歌っていたという。この番組は2024年7月17日、27日、8月6日、17日、28日、9月7日、17日、28日、10月8日、19日、29日、11月9日と同じ内容である。