2016年12月10日

12月10日ふるさとの風

国際シンポジウムと公開収録は終始良好な受信ができ、番組が押して中継は尻切れになった。解決することのない拉致事件だが、風化をこれ以上進行させないためにもこうした行事は必要なのかもしれない。事件を解決させたくない黒いネズミを退治するためにも。

10日1300の「イルボネパラム」は9465と9950kHz、両波とも台湾送信でスキップもなくよく聞こえている。後半1330の「ふるさとの風」は9705と9950kHz、この時間もまだ強力である。日本語放送がよく聞こえている。今週の一曲朝鮮語は高野寛の「虹の都へ」が出ている、昨年5月と今年3月にも登場している。日本語は南こうせつ「国境の風」、約2年ぶりの登場である。

1300の「しおかぜ」は6145kHz、パルスジャミングが強く受信状態は悪い。日本語が出ているが内容の聞き取りは不可能。後半1330は朝鮮語が出ている。
1405の5910kHzもノイズジャミングが強い、全く聞こえない。終盤若干ジャミングが弱くなり日本語放送が聞こえている。

1430の「ふるさとの風」は9560と9960kHz、両波とも弱いがかろうじて聞き取り可能である。懐かしい日本の歌「汽車」で始まった。拉致問題解説は田口八重子さんについて。1978年6月ごろ東京高田のベビーホテルに2歳と1歳の子供を残したまま拉致された。当時22歳である。日本人を偽装し大韓航空機爆破事件を起こした北朝鮮工作員・金賢姫(キム・ヒョンヒ)の証言から、田口八重子さんがこの北朝鮮工作員の教育係を務めたことが明らかになっている。北朝鮮はこうした事実や大韓航空機爆破事件そのものへの関与を完全に否定している。しかし、田口さんは、別の拉致被害者(2002年に帰国)に対して、「1981年から1983年にかけて「オッカ」(=金賢姫の別名)という名の女性工作員と共同生活した」ことが確認されている。
また、北朝鮮は、「田口さんは、1984年に別の拉致被害者・原敕晁さんと結婚し、1986年7月に原さんが病死したため、精神的な慰労のための旅行中に交通事故で死亡した」と説明している。しかし、帰国した拉致被害者は、田口さんとは1986年7月頃まで同じ招待所にいたが結婚の事実はなかったと証言しており、したがって、「原さんの死後、交通事故で死亡した」という北朝鮮側の説明は信用できるものではない。
北朝鮮側は、田口さんが大韓航空機爆破事件の実行犯の教育係を務めていたという事実を隠そうとしている。もちろん事件そのものを北朝鮮は韓国のでっち上げだとし認めていない、韓国も機体引き上げの捜査をしないなどおかしな事件である。
ふるさとの声は田口八重子さんへのメッセージ、お兄さんの飯塚繁雄さんから2015年3月4日収録されたもの。続いて2016年2月7日に政府拉致問題対策本部、東京都の共催により開催された、「北朝鮮拉致問題の解決を願う都民の集い」における収録から。そしてお兄さん本田勝さんからのメッセージは2016年2月に収録されたメッセージ、地元の民謡を歌っている。最後に2015年9月に東京で開催された「最終決戦のとき!不退転の決意で全員救出を!国民大集会」で収録した飯塚耕一郎さんからのメッセージが出ている。今日の一曲は1975年のヒット曲布施晃の「シクラメンの香り」である。この番組は2016年4月20日、29日、5月8日、17日、26日、6月4日、13日、22日、7月10日、19日、28日、8月6日、15日、24日、9月2日、11日、20日、10月8日、17日、26日、11月4日、13日、22日、12月1日と同じ内容である。
1600の「しおかぜ」は6180kHz、強烈なパルスジャミングが出ているが八俣の電波も強い。日本語放送で冒頭はいつもと同じ中波放送開始のアナウンスが出ている。
この時間はさる11月25日、鹿児島県薩摩半島西岸特別検証報告が出ている。
 まず久多島に向かう。久多島は吹上浜から10キロ沖合に浮かぶ無人島。高さ29m、周囲1380m。切り立った岩でできている。人の住む場所はおろか平らなところがほとんどない。当初この島に拠点がある可能性も考えたが、今回の検証でその可能性が低いことが分かった。海上からの目標としては絶好なので、このあたりで工作母船と子船の離脱回収が行われたと考えられる。

 なお、前回山口県での検証の折昭和57年(1982)に青海島に上陸したことのある李相哲・元北朝鮮作戦部戦闘員(仮名)に同行してもらった際、李氏は母船子船の離脱回収地点を沖合の相島南方、つまり陸地側だったと証言した。通常考えれば陸地側に停泊すれば目視されやすくて不利なのではないかとも思えるが、実際にはその可能性は低く、それより波が静かな陸地側を選んだのだろう。久多島も周囲を回ってみて陸地側の方が波が静かで停泊させやすいことが分かった。

 久多島に来てみて陸地を展望し、ドローンを用いて上空からの撮影を行った。はっきりと分かったのは吹上浜周辺に目標物が少ないということである。一番はっきりと見えたのが金峰山であり、久多島と金峰山を結ぶ線の上に伊作川の河口がある。そして河口から2キロ程度北にいくと市川さんの自家用車やサンダルが発見された場所になる。

 これらのことから考えると工作船は久多島を目標にやってきて、久多島の周辺で子船を離脱させ、伊作川の河口など、上陸地点に向かったものと思われる。 このような位置関係は、この地域が頻繁な工作員の密出入国に使われたことを推定させるものであり、入る側としては極めて使い勝手が良かったということだろう。目撃証言などが多いことも納得がいく。

 久多島の後、吹上浜に向かう。海上から見てここには海岸と防風林の続いているところであり、目標とできるものがほとんどないことが分かった。久多島から金峰山を目指して進み、海岸に近づいたら発光信号を目標に上陸するということかも知れない。

 それにしても市川さん・増元さんの拉致が本当にここで行われたのだろうか。富山の未遂と同じだとすれば駐車場から海岸の間で拘束され袋に詰められて防風林の中に放置され、夜になってからゴムボートで工作子船に移送されたということになる。一応それで理屈はつくのだが、しかし遺留品の写真などからすると薩摩湖で写真を撮ってから車で移動したとして、海岸に着いた時間はほとんど日没ぎりぎりである。海上から見たときもこの開けた海岸にゴムボートを着けて抵抗する2人を乗せていったのだろうかと感じた。

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