2012年06月15日

6月14日しおかぜ

1330の「しおかぜ」は6135kHz、1300過ぎからジャミングの垂れ流し、しかし放送波の方がはるかに強く受信状態は良好である。昨日に続き失踪者・拉致被害者家族からの肉声による呼びかけが出ている。

1985年失踪の秋田美輪さんへ、お父さんの正一郎さん、お母さんの嶺子さんからのメッセージ。
1989年失踪の山下貢さんへ、お母さんのきよ子さんからのメッセージ。
1997年失踪の宮内和也さんへ、お父さんの和見さんからのメッセージ。
2002年失踪の和田佑介さんへ、お母さんのとも子さん、妹さんのとし子さん、しょう子さんからのメッセージ。
1973年失踪の益田ひろみさんへ、お母さんのシゲ子さんからのメッセージ。
1984年失踪の山本美保さんへ、妹さんの美砂さん、お母さんの文子さんからのメッセージ。
1355:37に「日本政府からのメッセージ」が出ている。

1400からの放送も引き続き、拉致および拉致の可能性のある方への、肉声によるメッセージが出ている。

1960年失踪の巽 敏一さんへ、お姉さんの直江さん、妹さんの昭子さんから、弟さんのかおるさんからのメッセージ。 1971年失踪の園田 一さん、敏子さんへ、お嬢さんレイ子さんからのメッセージ。
1977年拉致された市川修一さんへ、お兄さんの健一さん、お母さんのとみさんからのメッセージ。
1998年失踪の松井綾子さんへ、お母さんの智子さん、お父さんの昭さんからのメッセージ。
1985年失踪の今津純子さんへ、お父さんの守人さん、叔母さんのしずこさんからのメッセージ。
1981年失踪の安達俊之さんへ、お母さんさんの道子さんからのメッセージ

以上の方々の声が放送された、1425:37に「日本政府からのメッセージ」が放送されている。この番組は、2011年5月26日、6月23日、7月21日、9月1日、29日、11月24日、12月22日、2012年1月11日、2月9日、23日、3月22日、4月12日、5月10日などに放送されている。

1430の「ふるさとの風」は9960kHz、ジャミングはやや強く、パラオからの信号もかなりジャミングに侵されている。聞き取りは十分可能だ。 懐かしい日本の歌は「汽車」、

今は山中 今は浜
今は鉄橋渡るぞと
思う間も無く トンネルの
闇を通って広野原
遠くに見える村の屋根
近くに見える町の軒
森や林や田や畑
後へ後へと飛んで行く
廻り灯籠の画の様に
変わる景色のおもしろさ
見とれてそれと知らぬ間に
早くも過ぎる幾十里

続いてふるさとの声は有本恵子さんへ、お母さんの有本嘉代子さんから、2011年9月4日の収録、同じくお父さんの有本明弘さんからのメッセージ。
この後は2012年2月5日に開かれた「拉致問題を考える国民大集会in大阪」での有本ご夫妻のメッセージから。拉致された当時の政府の無策ぶりが語られている。
今日の一曲は1975年のヒット曲、荒井由美の「あの日に帰りたい」、この番組は4月3日、12日、21日、30日、5月9日、18日と同じ内容である。

1600の「ふるさとの風」は9780kHz、1559:48からBabcock Musicが出てきた。珍しく1600の時報が出て番組が始まった。1430と同じ番組である。ジャミングは全く聞こえない、受信状態は極めて良好である。VOAの混信も軽微。

2000の「しおかぜ」は5965kHz、ジャミングは出ているが、八俣の電波が強く全く影響はない。1330の6135kHzと同じ番組が出ている、受信状態は極めて良好である。
6月15日は、日本のメディアの一部でも朝鮮日報が報じた拉致被害者死亡のニュースが報道されている。
特段驚く内容ではないが、死亡扱いにしておかないと困るニュースである。
以下、朝鮮日報日本語版から
拉致被害者家族会の崔成竜代表、平壌の保健省にある7人の死亡確認書を入手
拉致被害者家族会の崔成竜(チェ・ソンヨン)代表(60)は14日、北朝鮮の消息筋を通じ「北朝鮮から7通の死亡確認書を入手した」と明らかにした。その中には「統営の娘」と呼ばれる申淑子(シン・スクチャ)さん、日本人拉致被害者の横田めぐみさん、2004年末に脱北したが、中国の公安(警察)により強制送還された韓国軍捕虜のハン・マンテクさんのものも含まれていたという。

 関係する部処(省庁)と情報当局に対し、崔代表が入手した文書の真偽について確認を要請したが「判定は難しい」との回答を得た。崔代表は2000年以降、韓国軍捕虜や拉致被害者19人とその家族53人を救出する活動を行いながら、多くの経験や知識、人脈を蓄積してきた。本紙は問題の重大性を考慮し、崔代表が発表した内容を報道することを決めた。

 崔代表が公表した死亡確認書の筆写本によると、申淑子さんは08年11月23日に死亡したことになっている。崔代表は「北朝鮮の消息筋を通じ、平壌の保健省などに保管されていた申さんの死亡確認書の筆写本を入手した。死因は肝硬変と記載されている」と明らかにした。ジュネーブにある北朝鮮代表部は4月27日、国連の「恣意(しい)的拘禁に関する作業部会(WGAD)」に「申さんは1980年代から患っていた肝炎により死亡した」と報告したが、死亡日については明らかにしていない。

 死亡当時の申さんの住所は「平壌市大城区域竜北洞」となっている。この地域には韓国軍機務司令部に相当する保衛司令部の本部がある。住所欄には「ヨン98」という表記もある。崔代表は「耀徳収容所があるのは咸鏡北道永興郡(現在の金野郡)で、この表記は申さんが耀徳収容所を1998年に出所したことを意味するようだ」と述べた。死亡確認書を交付したのは「第695号病院」で、この病院はスパイ養成機関でもある金正日(キム・ジョンイル)政治軍事大学の付属病院となっている。


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