1300の「日本の風」朝鮮語放送はジャミングも無くクリアーに聞こえている。しかし1315ごろから信号レベルが急降下、ほとんど聞こえなくなってしまった。
1330の「しおかぜ」は5985kHz、ジャミングはほとんどわからないが、5990kHzのCRIが強すぎ。8日、日曜日は日本語放送、2011年6月に実施された、「拉致・工作員上陸浸透に関する1000キロ現地調査」の模様が再放送されている。
この番組は6月19日に放送されたのが最初で、以後何度も放送されている。12月28日の再放送と同じ番組が出ている。
1月8日に放送されたのは以下の人たちの現地録音で被害者家族の肉声で呼びかけが行われている。
山田建治さんへ(越中国分駅裏国分浜で収録)、同級生の宮村和雄さん、従兄弟の青木国生さんからのメッセージ。
荒谷敏生さんへ (庄川口駅付近の川辺で収録)、妹の文恵さん、お母さんのすみ子さんからのメッセージ。
谷ヶ崎清一さんへ(東新湊駅前で収録)、姉の友栄さん、お母さんの世智美さんのメッセージ。
屋木しのぶさんへ(新田さんの自宅で収録、)叔母さんの新田弘子さん、弟さんの屋木秀夫さんからのメッセージ。
水島慎一さんへ(宮崎海岸で収録、)弟さんの水島嘉導さん、親戚の水島一郎さんのメッセージ。
安達俊之さんへ(石川県白山町交差点で収録)、お母さんの安達道子さんのメッセージ。
1350から約850Hzのトーン信号が出てきた、これは1400に開始するVORのキャリアーだろう。1355:10に「日本政府からのメッセージ」が出ている。引き1400からは続き次の方々の呼びかけが放送されている。
林雅俊さんへ(越前海岸での収録)、お父さんの林俊雄さんのメッセージ。
宮内和也さんへ(石川県世久見漁港カヌーの艇庫で収録)、お母さんの宮内みちこさんからのメッセージ。
続いて秋田県での現地調査から、
木村かほるさんへ 姉、天内みどりさんから 秋田高等看護学校跡
松橋恵美子さんへ 母、松橋チヤ子さんから 最後に目撃されたガソリンスタンド跡
薩摩勝博さんへ 妹、品川貴美子さんから 失踪時に同行女性が居住していたアパート跡
今井 裕さんへ 兄、今井英輝さんから 自宅近く、最後に目撃された場所
木本佳紀さんへ 父木本厳さん、母和子さんから 失踪時に居住していたアパート跡
平山政子さんへ 兄平山勳さんから 失踪時に勤務していた店舗跡
続いて、第3回1万キロ現地調査(兵庫~舞鶴~小浜)から、この番組は2011年11月20日などに放送された一部と同じ。
秋田美輪さんへ お父さんの秋田正一郎さんから、兵庫県竹野町弁天浜で収録メッセージ。
西安義行さんへ、お父さんの西安逸郎さん、お母さんの久子さん、妹さんの圭子さんから、友人と別れた、京都府山陰本線JR綾部駅にて収録のメッセージ。
松本重行さんへ、奥さんの松本智重子さんからのメッセージ、京都府舞鶴市小橋の海岸で収録。
1425:08に「日本政府からのメッセージ」が出ている。1428:30にIRIBの強力なISにつぶされてしまった。
1430の「ふるさとの風」は9950kHzのパラオ送信、ジャミングは全く無い、受信状態は良い。懐かしい日本の歌は「ペチカ」で放送開始。
これ以降の番組は今まで放送された内容と同じ、拉致問題解説は曽我みよしさんについて。ふるさとの声は曽我みよしさんへ、2011年9月27日収録の曽我ひとみさんの日本語と朝鮮語によるメッセージが出ている。この番組のアナウンスは絶対朝鮮語とはいわない。19歳で拉致されたひとみさんがもう56歳だという、しかしまだ事件は解決していない、帰国するまで拉致されていたことさえ分からなかった。
今日の一曲は1972年のヒット曲、森昌子さんのデビュー曲「先生」、この曲は2009年の第84週の今週の一曲で始めて登場している。今もよく歌い続けられているヒット曲である。
淡い初恋 消えた日は
雨がしとしと 降っていた
傘にかくれて 桟橋で
ひとり見つめて 泣いていた
幼い私が 胸こがし
慕いつづけた ひとの名は
先生 先生 それは先生
声を限りに 叫んでも
遠くはなれる 連絡船
白い灯台 絵のように
雨にうたれて 浮かんでた
誰にも言えない 悲しみに
胸をいためた ひとの名は
先生 先生 それは先生
恋する心の しあわせを
そっと教えた ひとの名は
先生 先生 それは先生
この日の放送は、11月24日、12月3日、12日、21日、30日と同じ内容である。