2009年06月16日

増元るみ子さん戸籍回復

拉致事件解決が出来ない大きな要因に、政治家の不作為がある。事件当時行方不明者の戸籍が悪用されることを防ぐ目的で、戸籍の抹消が行われた。

既に当時から北朝鮮に拉致されたことが分かっていたのに、時のあの政治家らによって封印されてしまった。北朝鮮にいることが分かってからも戸籍の復活は難しいといわれ今まで放置させられてきた。

それが相次いで戸籍が回復されたというニュースが出てきた。以下、救う会全国協議会ニュースから転載する。

増元るみ子さん戸籍回復へ−鹿児島家裁が失踪宣告取り消し

増元家が、増元るみ子さんの失踪宣告取り消し審判申立てを鹿児島家裁に行っていたが、鹿児島家裁から、6月11付けで「失踪宣告取り消し」の決定通知が届き、本日、6月15日、記者会見を行った。当日の参加者は、増元照明さん(家族会事務局長)、西村眞悟衆議院議員、荒木和博・特定失踪者問題調査会代表、平田隆太郎・救う会事務局長。
会見の概要は以下の通り。

■増元るみ子さん戸籍回復へ−鹿児島家裁が失踪宣告取り消し

平田 6月11日付けで鹿児島家裁から郵送された決定通知が増元さんにも届き、増元るみ子さんは拉致以降「生存を確認することができる」、失踪宣告取り消し申立てを「認めるのが相当」ということでした。従って、るみ子さんが帰国した時に受け入れる準備が整ったことになります。

また、本日は、本年2月に、「北朝鮮拉致被害者の失踪宣言取消しに関する質問主意書」等を提出していただいた西村眞悟衆議院議員、また「失踪宣言」にも関係がある特定失踪者問題調査会の荒木和博代表にも参加していただきました。

なお、ご承知のように同じ鹿児島県内でいち早く郵便で通知が届いた市川家では、先週末鹿児島県の地元で記者会見を行っています。

増元 昨年10月16日に鹿児島家庭裁判所に「失踪宣告取り消し」の申立を行いました。この日は、父の命日の前日に当たります。姉増元るみ子と、市川修一さんは、昭和53年(78年)8月12日、北朝鮮に拉致されました。昨年12月、今年2月、4月の3回の審問の中で、市川家は16の、増元家は17の資料を家裁に提出しました。そして6月11日付けで、「失踪宣告取り消し」の判決をいただきました。これで姉の戸籍が回復できることになり、帰国の準備が整いましたので大変嬉しく思っています。お世話になった関係者に御礼申し上げます。
拉致があった「昭和53年8月12日以降における事件本人の生存を確認することができる」という決定は大変喜ばしいものでした。

なお、審査の過程で、昭和60年(85年)に警察から父に「『背乗り』の危険性があるので、時々戸籍を調べた方がいい」と連絡があり、父が鹿児島市役所に何度か戸籍確認に行っていたことが分かりました。(工作員が日本人の旅券を取り日本人に成りすます)「背乗り」の危険を防ぐために父が除籍の判断をしました。姉の戸籍を悪用されないためです。この事実を踏まえて申立てを行ったわけですが、父にとっては無念の除籍だったと思います。そこで、それを元に戻してやろうと思うようになりました。母も、「帰ってきた時、悲しい思いをさせないように早く戻したほうがいい」と希望していました。今回の決定に心から感謝しています。

なお、昭和60年(85年)に警察から父に連絡があったということは、当時すでに政府は拉致を認識していたことになります。

西村 日本政府は、二人の生存を前提に救出をすすめています。しかし、国内では、失踪宣告で死亡とされています。拉致問題は最優先課題と言っているのであれば、この矛盾を解消すべきです。増元さんが苦慮していると聞き、質問主意書を提出し、特別措置を講じるよう求めました。民法32条では、「失踪者が生存することまたは前条に規定する時と異なる時に死亡したことの証明があったときは、家庭裁判所は、本人又は利害関係人の請求により、失踪の宣告を取り消さなければならない」となっています。しかし、被害者は抑留されていて生存を証明する手段がありません。また、生存しているのに「異なる時に死亡したことの証明」も出せません。そこで特別措置を講じるよう求めたのですが、官僚の断固とした何もしないという答弁でした。不作為の不誠実を感じます。増元家だけで、失踪宣言取消しの努力をされたことに敬意を表します。

荒木 寺越事件では、拉致1か月後に海難事故として寺越昭二さん、外雄さん、武志さんの戸籍が抹消されました。しかし、寺越家が88年(昭和63年)に戸籍回復をしようとしたことがあります。仲介したある政治家が「むずかしい」と言ったので放置していました。ところが97年(平成9年)に家族会が発足後、マスコミが法務省にこのことを聞いたら、「生きているなら簡単に回復できる」ということでした。そして1か月で回復できました。88年に寺越さんの両親を北朝鮮に連れて行った政治家は、「むずかしい」と言った人ですが、実は北朝鮮に言われて、そう言ったのです。北朝鮮は、戸籍を回復すると日本政府が返せと言うだろうと考え、日本の政治家を使って、戸籍の回復をやらせないようにしたのです。

今回、政府が生存を前提として交渉していることを、裁判所が認めたことには大きな意義があります。特定失踪者の家族でも、家庭の事情で「失踪宣告」せざるを得なかったところが多数あります。これをステップに、「失踪宣告」の取消しが進むことを期待します。

増元 判決主文に、「日本政府は、事件本人について北朝鮮から提出された死亡の裏づけ資料には疑問があるなどとして、事件本人については現在安否不明としている」とあります。これで戸籍回復の道筋ができたのですが、北朝鮮が拉致を認めたこと、政府が認定していること、が前提になっており、特定失踪者の戸籍回復は、まだまだ茨の道かと思われます。

市川さんと姉の戸籍については、今後は、裁判所に申請書を出し、裁判所から確認書を貰い、これを役場に提出すると戸籍が回復されるようです。2週間くらいかかるということでした。

姉を迎え入れる準備はできました。あとは取り戻してもらうだけです。政府はもっとアグレッシブに交渉し、取り戻す段取りをつけていただきたいと思います。
北朝鮮が拉致を認めてもう7年経っています。何の情報も成果も得られていないのが残念です。
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