ビルマの軍事政権に反旗をひるがえしているのがこの放送局。衛星テレビとラジオ放送を24時間行っています。
独裁国家の放送局では伝えない、伝えられない西側の情報をRFA並みに放送しています。そのうち2時間を短波放送でも流しています。
今ではほとんどの地下放送局と言われるものがすべて所在が明らかになっています。一つには送信する放送局側が情報公開をしているからです。
この「ビルマ民主の声」もマダガスカル、アルメニア、ドイツから送信されていることが知られています。そして番組の中では連絡先として日本の住所もアナウンスされています。
それだけにその筋からの攻撃もあり、DVBのウェブサイトも8月のあたま2週間ほど不通になっていました。
日の出が遅くなり、2330の9490kHzも聞こえるようになりました。
Democratic Voice of Burma
1430-1530 15480ARM 17625MDC
2330-0030 9490D
そこで働く東京特派員の記事が先日の毎日新聞に載っていました。
ひと:ティンアウンさん 「ビルマ民主の声」東京特派員
民主化運動のデモに学生仲間と参加していた1988年9月、ミャンマーの当時の首都ヤンゴン市内の路上で、軍事政権の治安部隊から無差別発砲を受けた。20メートルほど離れたビルの陰に隠れたが、友人の一人は胸を撃たれ、路上に倒れた。右手を上げ、訴えるような目つきで助けを求めながら、そのまま目を閉じた。身がすくみ、ビルから飛び出すことができなかった。
デモ仲間が次々に投獄され始めたため、タイを経て91年に日本に渡った。アウンサンスーチーさん率いる国民民主連盟の日本支部創設にかかわり、01年からはノルウェーに本部を置く放送局「ビルマ民主の声」(DVB)の東京特派員として記者の仕事を始めた。
自宅は西東京市の6畳一間のアパート。午前4時に起き、池袋でオフィス清掃の仕事をした後、新橋の飲食店で午後3時ごろまで働く。「記者」を始めるのは夕方だ。国会議員や在日ミャンマー人らを取材し、ビデオ撮影した映像を自宅のパソコンで編集、本部にメールで送る。報酬は1カ月3万円前後だ。
昨年のデモ弾圧、今年のサイクロン被害。祖国の悲しいニュースが続く。「いつの日か、民主化にわく国民の喜びの声を取材したい。その日まで絶対にあきらめない。死んでいったあの友の目が今も私を見つめている」
【経歴】ティンアウン(Htin Aung)さん ヤンゴン生まれ。ヤンゴン大数学科卒。昨年結婚したミャンマー人の妻は、冬に出産予定。