8日の朝日新聞に載っていた。
1988年12月に日本国内で最後に電気が通じたとされる岩手県川井村江繋の話題。
これで思い出すのは、中学生当時、電気のない家から通っていた同級生が何人かいたこと。当然夜はランプの明かりで生活をしていた。
今もよき友人で、当時も毎日のように遊びに行った。今で言うラジオ好きで鉱石ラジオをよく作った思い出がある。いずれは電気も来るだろうからと乾電池でも聞けるラジオを作った。
当然半田付けも必要だ、七輪に火を起こしコテを焼いての作業だ。半田の鉛も作った。何もかも手作り、コイルからバリコンまで作ってラジオを完成させたことを思い出す。
当時一クラス60人以上、10クラスもあった大所帯の中学校、同じクラスにもう一人電気のない人がいた。彼もラジオ少年だった。高校進学もままならない生活、それでも卒業後、ハムの免許を取り、電気の使える場所で一晩中QSOをした。
今では考えられない生活だ。その当時のラジオ好きが今も続いているとは因果なものだ。