7月1日1300の「しおかぜ」は5920と6040kHzが強力に入感している。ジャミングは全くない。金曜日は日本語放送から。最初に日本人拉致被害者に関する情報について。6月27日付世界日報の記事から。「全員が平壌市内に居住」 日本人拉致被害者とその子供
キム・グクソン 1959年平壌生まれ。金策工業総合大学や金正日政治軍事大学を卒業後、朝鮮労働党で勤務。対外連絡部(現、文化交流局)、作戦部、35号室(現、対外情報調査部)、偵察総局などで工作を企画立案。金正恩総書記の叔父、張成沢氏の処刑を契機に2014年に韓国亡命。同年から19年まで国家情報院傘下の国家安保戦略研究院で研究委員。昨年10月、英BBCのインタビューで初めてメディアに登場し話題となった。
キム氏は対外連絡部や作戦部など党工作機関に25年以上勤務し、特に工作の企画立案を主導するなど各機関をまたいで事情に精通し、「韓国に亡命した工作機関出身の脱北者では最高クラス」(韓国治安筋)。日本人拉致被害者5人が帰国を果たすきっかけとなった02年の日朝首脳会談では、国交正常化の呼び水として金正日総書記に拉致の事実を認めさせ、被害者を日本に帰国させることを自ら提案し、金総書記から承認されたという。
キム氏によると、被害者とその子供らは「南朝鮮(韓国)解放(=朝鮮半島の赤化統一)」という大きな目標に向け、「工作員が日本人として活動できるよう日本語を習得させたり、その日本人に成り済まして韓国に侵入するため」拉致したという。
平壌での生活は「食べる物、着る物、使う物などに不自由しないよう党が配慮し、北朝鮮では極めて上流の生活」をしている一方、「外部の人とは接触できず、外出も集団で車で移動」し、子供たちは「仮名で地元の学校に通い、車で送り迎えしている」という。
日朝首脳会談で北朝鮮側が発表した被害者の「8人死亡」について、キム氏は「全て嘘(うそ)」と断言。「墓地が洪水で流されたと言ったり、被害者が精神病院に入院したという(北朝鮮側の)話も全てデタラメ」と述べた。北朝鮮当局がこれまで「生存者はすでに全て帰国した」と繰り返し説明してきたことを元当事者が初めて全面否定した形だ。
被害者の一人で「8人死亡」の名簿に入っていた横田めぐみさん=失踪当時(13)=に関し、キム氏は「皆が驚くような話もある」と述べ、生存の証拠があることをほのめかした。
日本に帰国した被害者5人がそのまま日本に定住したことについてキム氏は「北朝鮮に戻すという約束を日本が破った」と主張。このため「金総書記は大恥をかき、日本との間に大きな溝ができた」と述べた。キム氏も金総書記も5人帰国で「日本国民が喜ぶと思ったが、予想外に抗議の声が上がった」とした上で、「何十年も解決できなかった拉致問題の解決の糸口をつかんだのだから、日本はもっと大きな目標を見据えて肯定的に捉えるべきだった」と述べた。
日本人を「これ以上連れて(拉致して)こなくてもよくなった後も日本への工作は続いた」(キム氏)。その一例としてキム氏は「金英哲が(09年に)偵察総局の局長になった後、日本の右翼団体幹部を包摂し、北朝鮮核問題をめぐり日本が米国の主張に同調しないよう働き掛けさせたことがある」と明らかにした。
6月8日参議院拉致問題特別委員会について。参考人として特定失踪者家族会事務局長・特定失踪者古川了子氏の姉竹下珠路さんが出席した。
5月31日都内で国民大集会が開催された。特定失踪者家族会会長今井英輝さんのスピーチから、
6月18日オンライン国連シンポジウムから、特定失踪者家族早坂雄二さんの発言が出ている。
救出への道コーナーは増元輝明さんから、拉致被害者のことを何も考えていない無関心な国会議員たち、無理やり家族を作らされた苦しみをわかってほしいと。
日本政府からご家族の声は横田哲也さんからのメッセージが出ている。あとはいつものように日本への脱出指南の告知があり番組終了。
1430の「ふるさとの風」は11955、9705、9685kHzが強力に入感している。ジャミングは出ていない。懐かしい日本の歌は「めだかの学校」で始まった。拉致問題解説は増元るみ子さんについて。1978年8月12日鹿児島県吹上浜で市川修一さんとともに拉致された。当時24歳であった。二人は1979年7月20日結婚し、1981年8月17日心臓マヒで死亡したとされる。しかし結婚した事実もなく、何の前触れもなく死亡したというのはいかにも不自然であり、2002年9月に北朝鮮の捏造死亡診断書で死んだことにされてしまった。死亡を確認する客観的事実は何もない。
ふるさとの声は増元るみ子さんへ。弟さん増元照明さんから、2020年6月電話収録のメッセージである。拉致され42年、つらい思いを語っている。お姉さん平野文子さんからも2020年6月の電話収録から。同じく2019年12月熊本での国民の集いで収録したメッセージである。
今日の一曲は1976年のヒット曲沢田研二の「コバルトの季節の中で」、この曲は1978年秋から約一年間、拉致被害者の蓮池由紀子さんと増元るみ子さんが北朝鮮で一緒に暮らしていた際、由紀子さんがるみ子さんによく歌っていたという。この番組は2022年4月9日、30日、5月7日、21日、31日、6月11日、21日と同じ内容である。