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月曜日からまた新しい内容である。ふるさとの風ニュースは、6月5日、安倍総理は、都内で横田滋氏の逝去についての会見から。
「本当に、残念です。横田滋さんの御冥福を心よりお祈り申し上げます。そして、早紀江さん始め、御遺族の皆様に、心からお悔やみを申し上げたいと思います。
滋さんとは本当に長い間、めぐみさん始め、拉致被害者の方々の帰国を実現するために、共に戦ってまいりました。
2002年の10月の15日、5人の拉致被害者の方々が、帰国を果たされた。羽田空港に、当時私は官房副長官として、お出迎えに伺ったわけでありますが、横田滋さんも早紀江さんと共に、家族会の代表として来ておられました。
そして、代表としての責任感から、その場を記録にとどめるために、カメラのシャッターを切っておられました。帰国された拉致被害者の方々は、御家族の皆さんと抱き合って喜びをかみしめておられた。その場を、写真に撮っておられた、滋さんの目から本当に涙が流れていたことを、今でも思い出します。あの場に、めぐみさんがおられないということ、どんなにか残念で悔しい思いだったかと、その時、本当にそう思いました。
滋さんが早紀江さんと共に、その手でめぐみさんを抱きしめることができる日が来るようにという思いで、今日まで全力を尽くしてまいりましたが、そのことを総理大臣としても、未だに実現できなかったこと、断腸の思いでありますし、本当に申し訳ない思いで一杯であります。何とか、めぐみさん始め、拉致被害者の方々の、故郷(ふるさと)への帰還、帰国を実現するために、あらゆるチャンスを逃すことなく、果断に行動していかなければならないという思いを新たにいたしております。
改めまして、滋さんの御冥福を心からお祈り申し上げます。
25年以上、滋さん始め、家族会の皆さんと、何とか拉致被害者の方々が帰国できるように、まだ世の中が十分に認識をしていなかった時代から、滋さん、本当に暑い日も寒い日も署名活動に頑張っておられました。その姿をずっと拝見してきただけに、痛恨の極みであります。
様々な困難があるわけでありますが、何としても、被害者の方々が実現する、そのために政府として、日本国として、様々な動き、見逃すことなく、チャンスを捕らえて果断に行動して、実現していきたいと思っています。」
「ふるさとの声」は6月9日、横田早紀江さん、拓也さん、哲也さんの会見の模様が出ている。
早紀江さん
このたび、主人の滋がだんだん衰弱いたしまして、5日に逝去いたしました。長い闘病生活でしたけれど、いつも穏やかで、苦しいとか痛いとか、そういうことを何も言わないで、いつも笑顔をもって、元気に意識もあったんですけど、だんだん衰弱して5日に突然静かに息を引き取りました。
今も拉致をされている人のことをいつも思って、私たち二人三脚で一生懸命に頑張って来ましたけども、互いに年をとって、身体のいろんなところのに不具合が出てきております。私もそうですけども、たくさんの親御さんたちがとっくにいらっしゃらなくなったり、まだこれからも衰弱していかれるんじゃないかといつも心配しております。どうしてもなかなか解決には向かいませんけれども、国柄が国柄なので、本当に難しい問題だなとつくづく思わされております。
めぐみたちを助けるために献身的に私たち全員のことを、被害者のことを、家族のことをいつも報道し続けてくださった長い年月に対して、本当に心から感謝いたしております。
滋もみなさまと仲良くさせていただいて、いつも穏やかに暮らすことができたこと、たくさんの先生方や救う会の指導力も素晴らしく、何にも思い残すことがないほど全身全霊打ち込んで、主人は頑張ったと思っています。安らかないい顔で天国に引き上げられましたことを、本当によかったなと思っております。これまでの長いご支援をいただけましたこと感謝いたします。ありがとうございました。
拓也さん
私の姉はご承知の通り1977年に拉致をされて、両親はその当時何の手がかりもない中で、25年間姉のめぐみを探し続けました。しかしながら何の安否も得ることなく、本当に苦しい中を走り続けてきた25年間でした。そして2002年の日朝首脳会談があってから、初めて姉の行方が北朝鮮にいるということがわかり、犯罪を北朝鮮が犯したということを我々国際社会、日本の国民世論が知ることになり、私たち横田家は北朝鮮という具体名が出てきたことによって、早期にこの問題が解決するのではないかと淡い期待を持ったのも事実です。そして両親は、その淡い期待を現実のものにするために18年間戦い続けてきたのですが、残念ながら父、滋は6月5日の午後に他界してしまいました。
父はめぐみの写真を撮ることがとても大好きでしたから、よく報道でもその過去の写真を使っていただくことも多いわけですが、本当によく言われるように、目の中に入れても痛くないそれほどかわいがっていた姉とどれだけ会いたかっただろうと思うと、本当に悔しくて悔しくて仕方ありません。
そして2002年の日朝首脳会談後に、父が泣いていた姿を見て、そして今回父が他界したことを受けて、私個人は本当に北朝鮮が憎くてなりません。許すことができない。どうしてこれほどひどい人権侵害を平気で行い続けることができるのかということが不思議でなりません。国際社会がもっと北朝鮮に強い制裁を下して、この問題を解決をはかることを期待したいと思います。
そして、私たち横田家のずっとそばにいて、本当に長い間支えてくれた安倍総理。本当に無念だとおっしゃっていただいております。私たちはこれからも安倍総理とともにこの問題の解決を図っていきたいと思っております。そして、国会においては与党・野党の壁なく、この問題解決のためにもっと時間を割いて具体的かつ迅速に解決のために行動してほしいと思いますし、マスコミの皆様方もイデオロギーに関係なく、この問題を我が事としてもっと取り上げてほしいと思っています。自分の子供なら、どうしなきゃいけないかということを問い続けてほしいと思っています。
そして今回、父が他界したことがとても悔やまれてなりませんが、全国1400回におよぶ講演会や集会に行って、現地で温かく見守ってくださった方々、1340万筆以上の署名をしてくださった皆様方、そして議連の先生方・救う会の先生方、そしてとりわけ同じマンションの支援してくださった「あさがおの会」皆様、病院の皆様方、協会の皆様方、本当に改めて心からお礼申し上げます。ありがとうございます。
哲也さん
父は2年2ヶ月ほど前に地元の日本鋼管病院で入院をいたしましたが、長期間に及び入院していました。そこでは主治医の先生、看護師さん、様々な医療関係者が献身的にに治療・介護をしていただけましたことをこの場を借りてお礼を申し上げたいと思います。また、父が亡くなって以降、中野島教会にご遺体を運ばせていただきまして、月曜日に葬儀を実施したわけですけど、牧師の國分先生には大変お世話になったことをこの場でお礼申し上げたいと思います。
本当にここに来るまでに、ここにいる我々もそうですけど、様々な方にお世話になっていることが、結果として拉致問題が解決しないまま父が他界することになったのは、父であり、私たち家族であり、そして日本国民が非常に憤りを感じて無念を抱いていることだと思います。父が果たせなかったその想いを、意思を受け継いで、結果を出すことこそが、そして墓前で「帰ってきたよ」と報告することが、残された者の使命だと思っております。
北朝鮮の金正日が亡くなったのが2011年で、そのあとに2012年に金正恩がリーダーとしてついたわけでありますけども、そのときに金正恩が前の政権の悪行を否定して生まれ変わっていれば国際社会に復帰ができ、資金や物資がどんどん流入して国民も豊になり、そして拉致問題も解決していれば被害者家族も幸せになれた。
すべてがwin-winの関係になれたのに彼らはそれをやらなかった。本当に愚かなリーダーだと思います。また、一番悪いのは北朝鮮であることは間違いないことでありますが、この拉致問題が解決しないことに対して、あるジャーナリストやメディアの方が「安倍総理は何をやっているんだ」とおっしゃる方もいます。
北朝鮮問題を一丁目一番地に掲げていたのに何も動いていないじゃないかというような発言をここ2~3日のメディアを見て耳にしていますけど、安倍総理・安倍政権が問題なのではなくて、40年以上も何もしてこなかった政治家や、北朝鮮なんて拉致するはずないでしょうと言ってきたメディアがあったから、ここまで安倍政権が苦しんでいるんです。
安倍総理・安倍政権は動いてくださっています。なので、何もしていない方が政権批判をするのは卑怯だと思います。拉致問題に協力して、様々な角度で協力して動いてきた方がおっしゃるならわかりますが、ちょっと的を射ていない発言をするのはこれからやめてほしいと思います。
拉致被害者家族も、うちの母であり、有本のお父さんだったり高齢者がいるのは事実ですし、飯塚代表もかなりのお年で健康もかんばしくないわけでありますが、本当にこれ以上同じようなことがおこらないうちに、国会・政権におきましては具体的な成果を出していたきたいと思いますし、国内に敵も味方もないはずです。日本対北朝鮮、加害者対被害者の構図しかないので、これかもご協力をいただきながら解決していきたいと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。
ニュース解説はシンガポールでの米朝首脳会談から2年、北朝鮮外務省は談話を発表した。過去2年間朝鮮半島情勢は悪化したと評価している。
今週の一曲、朝鮮語放送は、井上陽水・奥田民生の「ありがとう」が出ている。この曲は今年1月にも登場している。日本語放送はなし。
1300の「しおかぜ」は6040と6090kHzがジャミングの中、かろうじて聞き取れる。いつもより八俣からの電波は弱いようだ。15日月曜日は通常番組に戻ったようで、これまでと同じ日本語放送で失踪者の氏名生年月日、失踪年月年令などの読み上げが出ている。
後半1330も氏名読み上げである。