2011年12月09日

BVBN Japanese

毎週日曜日、1230から二つの日本語番組が出ていたが、このB11スケジュールに入ってからは、一度も放送されたことが無い。
同局のウェブサイトには、オンデマンド放送は毎週更新されていることから番組自体はちゃんと作られていることになる。

代わりに聞えるのはこの時間11560kHzで出ている北向け放送「自由朝鮮放送」である。誤送出はどんな放送にもよくあること、しかし放送中に気づいたりして正常になるのが普通だが、こればかりは既に5週続けての朝鮮語放送である。

こうなると単なる誤送出では、話が合わない、そこで1230からの放送「希望の灯」のウェブサイトを見たら、10月2日付で、中波の茨城放送でのこの番組が放送中止になった経緯が載っている。このことと、短波放送が出ないこととの関連は分からない。
同サイトから以下引用する。

茨城放送「希望の灯」が今年10月2日をもって中止になる理由について
今まで、あまりマスコミも教会も恐れて大胆に語ろうとしなかった問題、すなわち、パチンコに代表されるギャンブル、堕胎、同性愛、偶像礼拝という日本における4つの罪について御言葉の光を当ててシリーズで書いてきました。そして、これらの内容を「希望の灯」の番組で放送しようとしたのですが、私が予想していた通り、茨城放送局や「希望の灯」の番組を制作してきたPBA(太平洋放送協会)からも、多くのクレームが来て「このような内容の番組は多くの聴取者からの反感を買う恐れがあるので、放送を取りやめてほしい」という連絡が先週ありました。

私は世の罪だけを語ったのではなく、キリストによる愛と救いをも語ったのですが、放送局側では一部の聴取者からの反感を恐れて、それらの番組を取りやめるようにとの圧力をかけてきたわけです。どうやら、私は闇の世の主権者(エペソ6:12)であるサタンを怒らせてしまったようです。闇の世の主権者を恐れて、今は多くの教会やキリスト教団体が、こうした罪については一切口を閉じています。むしろ、妥協して、ギャンブルや堕胎をゆるしたり、同性愛行為を黙認したり、偶像礼拝を認め行ったりするようになってきています。そして、地の塩、世の光としての使命を全く放棄しています。

しかし、聖書的なバプテスト教会は、しっかりと真理のことばである聖書の教えに、妥協せずに立ち続けなくてはなりません。そして、世の光、地の塩としての使命を果たしてゆかなければなりません。バプテスト教会ほどその歴史の中で、聖書の真理のために迫害され、殉教者の血を流してきた教会は存在しません。中世ローマ帝国時代には、幼児洗礼やカトリックのマリヤ崇拝、偶像礼拝、教会の世俗化に反対したために、1,600万人のアナ・バプテストたちが迫害され、殉教の血を流しました。戦後の日本では、信教の自由、言論の自由が許されていて、血を流さなければならない程の迫害は起こっていませんが、しかし今回のように、徐々に言論の自由や信教の自由が奪われてきています。

私は「日本の闇に光を照らす」という「希望の灯」放送のシリーズ番組を、世と妥協して取りやめて、もう少し耳障りのよい、水で薄められた福音を語るか、それとも、茨城放送での「希望の灯」の放送を中止するか、その二つに一つの選択が迫られました。私は説教者として悩みましたが、祈りの結果、民間放送局である茨城放送からの「希望の灯」の放送を取り止めることに致しました。また、太平洋放送協会(PBA)での「希望の灯」番組作りも中止することにしました。31年間も続けられてきた茨城放送からの「希望の灯」を今年10月2日をもって中止せざるを得ないということは、非常に残念なことです。
私としては、未信者の放送局やキリスト教放送番組の制作会社であるPBA(太平洋放送協会)からの圧力に屈して、世の罪について語らず、耳障りのよい、この世受けするような、水で薄められた福音を語るよりも、聖書の真理から妥協せずに、闇の世に光を照らし、「罪からの救いの福音」をまっすぐに語ることの方が、主の御心にかなっていることを強く確信いたしました。

私は、31年間の希望の灯の放送番組の中で、今までもしばしば、日本におけるギャンブルの罪、堕胎の罪、同性愛行為の罪、不品行の罪、偶像礼拝の罪についても語ってきました。しかし、今回のようなクレームが来て放送番組を中止させられるような事態は一度もありませんでした。それだけ、今は終わりの時代になって、闇の世の主権者であるサタンの攻撃が激しくなってきているのです。そして、サタンは御言葉の真理に逆らうマスメディアや民間放送局だけでなく、キリスト教放送団体や教会にまで強い影響力を及ぼし始めているのです。しかし。私としては次の様な使徒パウロの言葉を厳粛に受け止めていきたいと思います。

「神のみまえと、生きている者と死んだ者とをさばくべきキリスト・イエスのみまえで、キリストの出現とその御国とを思い、おごそかに命じる。御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを励み、あくまでも寛容な心でよく教えて、責め、戒め、勧めなさい。人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。しかし、あなたは、何事にも慎み、苦難を忍び、伝道者のわざをなし、自分の務を全うしなさい。」(Ⅱテモテ4:1-5)
今の時代は、聖書から罪についての説教を嫌います。しかし、主イエス・キリストも、バプテスマのヨハネも、その時代の人々の罪や偽善を指摘して、はっきりと悔い改めを説教しました。そのため迫害され、殺されたのでした。
なぜ罪の悔い改めの説教が必要なのでしょう。その理由は、罪の自覚が生じなければ、キリストの十字架の死の意味を正しく理解することができないからです。キリストの十字架の死と復活が理解できなければ、人は信仰をもって救われることができません。罪についての説教は、自分の心が刺されて良心が痛み、苦痛に感じます。だから、人は罪について聞きたくないのです。しかし、その罪が正しく自覚されるとき、人は謙遜にされ、キリストの十字架の贖いの愛の存在に気づくのです。

キリストがこの世に来られたのは、世の罪をさばくためではなく、罪から私たちを救うためにこの世に来られたのです。しかし、罪の自覚が生じなければ、罪からの救いをキリストに求めることもできないのです。罪の自覚と痛みを通して、キリストの十字架の愛と赦しを発見し、悔い改めに導かれるのです。

今後の「希望の灯」の放送伝道ですが、続けて、短波放送BVBとインターネット放送、さらにYouTubeを用いて行っていく予定です。30年間分の「希望の灯」の放送番組が録音テープやCDで残っていますので、これをもう一度再放送することも考えられます。いずれにしても、闇の世の主権者の圧力に屈して、聖書的な福音放送を中止したくありません。

新しい時代の新しい放送媒体を用いて、これからも御言葉の真理をこの日本に広めていきたいと思います。どうぞ、兄弟姉妹の祈りと協力を続けてお願い致します。

我孫子バプテスト教会牧師
天利 信司


1245からの「聖書と福音」も当然聞えないが、ラジオ関西での放送は毎週行われている。

B11から聞えなくなった日本語放送
1230-1245 Su. 9870 希望の灯
1245-1300 Su. 9870 聖書と福音
Posted by Hiroshi at 02:00│Comments(0)日本語放送
上の画像に書かれている文字を入力して下さい