1300の「しおかぜ」は6040kHzが良好である。開始時ジャミングは出ているが、相変わらず停波を繰り返している。金曜日は日本語放送から、去る5月31日、「ふるさとの風」「しおかぜ」共同公開収録が北海道札幌市で開催された。当日行われたライブコンサートから、札幌市立月寒東小学校合唱団による「にじ」「おぼろ月夜」「地球へ」の3曲が披露されている。
続いて、拉致問題に関する国連の動きについて、7月2日、来日したエリザベス・サルモン国連北朝鮮人権問題特別報告者と特定失踪者家族が面会しました。
面会に参加したのは竹下珠路特定失踪者家族会事務局長(古川了子さんの姉)・森本美砂同事務局次長(山本美保さんの妹)、早坂勇治さん(早坂勝男さんの兄)、佐々木美智子さん(佐々木正和さんの姉)、酒井とよみさん(鈴木清江さんの妹)の5人で、ソウルでサルモンさんに会っている竹下さん以外は以前の特別報告者も含め特別報告者との面会は初めてでした。
ご家族からはそれぞれの家族の状況を訴え、その後意見交換が行われました。サルモン特別報告者からは「なぜ日本政府は拉致認定しようとしないのか」などの質問もありました。またサルモンさんは元々国際法が専門の学者ですが、「本人だけでなく家族も苦痛を受けている被害者であり、捜査や情報の共有なども含めて補償を受ける権利を有している。ご家族が罪の意識を持っている場合があるが罪悪感を持たないでほしい」という趣旨のお話は新鮮でした。
また、国連の普遍的・定期的レビュー(UPR)についての説明もあり、日本から北朝鮮に対して行う場合は市民社会からの情報を得て行うべきとのことでした。ご家族からすればそのために政府から情報提供を求められたことはなく、色々な意味で今後の活動にも参考になりました。
なお、私の方からは去る2月の金正恩宛レポートについて、次の機会に記載してもらいたいリストを英訳(仮訳)したものを手渡して協力をお願いしました。サルモン報告者は明日は新潟で大澤昭一さん(大澤孝司さんの兄)・中村クニさん(中村三奈子さんの母)と県庁で面会の予定です。
救出への道コーナーは増元輝明さんから、2024年作文コンクール高校生の部最優秀賞作品の朗読である。
風化させないために僕ができること 鹿児島県立甲南高等学校 一年 福留 豪希
僕は2008年8月12日に生まれた。その年より30年前の8月12日、日置市吹上浜で一組の男女が北朝鮮に拉致される事件が起きた。いわゆる日本人拉致事件の一つだ。
僕が拉致問題について知るきっかけとなったのは、平壌放送という北朝鮮のラジオ放送を偶然聞いたことだ。聞き慣れない言葉に興味が沸き、北朝鮮について調べていくなかで拉致問題を知った。
さらに被害者家族が身近に存在することも知った。日々穏やかに過ごしていた家族を突然奪われる悲しみや苦しみはどれほどのものか。そして、家族を奪われたまま46年の月日が流れ、被害者家族
以外の人々は事件があったことを忘れ、若い世代は知ることさえもなくなり、拉致事件は風化してゆく。
「風化」に対して、自分でも何か出来ることはないか。僕は、2023年夏、拉致被害者家族である市川健一さん龍子さんご夫妻に直接話をうかがうことにした。訪れた市川さん宅には願いの込め
られた「カエル」の人形やぬいぐるみなどがたくさん置かれていた。1978年8月12日、健一さんの弟修一さんは交際していた増元るみ子さんと一緒に吹上浜に夕日を見に行った後、行方が分から
なくなった。15年を経た1993年、北朝鮮に拉致されたという事実が明らかになる。それまでの15年間、家では修一さんの話題は避けられていた。思い出すと悲しく辛い思いを両親がするからだ。
「どこにいてもいい。元気でいてくれたら」修一さんの無事を願う母親トミさんの言葉だ。しかし、トミさんも父親の平さんも修一さんとの再会を果たせないまま亡くなった。今、健一さんご夫妻は、自分たちが存命のうちに修一さんとの再会を果たしたいと強く願っている。進展が見られない現状への焦りや歯がゆさ、なによりも拉致問題が風化してしまうことへの不安を抱えながら、日々の生活を営みながら、講演活動や署名活動を様々な場で続けている。この真実を多くの人に知ってもらうことが風化させないために大切だと考えた僕は、中学校の課題研究で拉致問題についてポスター発表をした。しかし、周囲の反応はとても薄かった。このままではいけない。僕は、市川さんご夫妻に直接お話してもらうのが一番だと思い、中学校で講演をしていただいた。みんな真剣に話を聞き、涙を流す人さえいた。それほど心に響く被害者家族の言葉だった。
僕にとって8月12日は誕生日だからおめでたい日だ。だが、拉致事件を知ってからは被害者に思いをはせる日にもなっている。そうすることが風化させない唯一の方法なのだ。「修ちゃんカエル、必ず帰る」被害者家族の願いが叶うよう、拉致問題を若い人たちにも知ってもらい風化させないために、僕にできる行動を続けていきたい。
日本政府からご家族の声は市川修一さんへ、市川健一さんからのメッセージが出ている。